2023年6月10日(土)14時より、第24回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回は柳幹康(東京大学東洋文化研究所准教授)と小川隆氏(駒沢大学教授)により、それぞれ大慧の普説と『宗門武庫』の講読がなされた。
柳は大慧の「礼侍者断七請普説」を講読した。これは礼という名の侍者(住持の側に仕える役)の断七(死後四十九日目)に合わせて大慧が説いた普説(説法)である。そこで大慧は自身の修行を振り返り、嗣法する圜悟に参じる前、雲門・曹洞両宗において「零零砕砕悟来」(こまごまと悟ってきた)と回想している。その年譜(伝記)によれば、大慧が18歳の時に参じた雲門宗の禅僧は指導に際し常に「是汝自己」(お前自身のことだ)と教えており、20歳の時に参じた曹洞宗の洞山道微のもとで大慧は2年でその宗旨を習得したほか、それを秘伝とする曹洞宗の有り様を論っている。皮肉を込めた表現であるが「零零砕砕悟来」とあるように大慧は、圜悟に参じる前に得た様々な気付きを不完全なものとしながらも「悟」と表現している。次回読む資料と合わせ柳は、大慧が悟りを一回限りのものと理解していないのではないかと論じた。
小川氏は『宗門武庫』の第12段、雲頂山徳敷と楽営将の話を講読してくださった。徳敷は雲頂山に住した宋初の禅僧であり、楽営将は楽営(朝廷・役所おかかえの歌舞劇団)の頭領である。徳敷が知事に招かれ役所で説法した際、楽営将は「一口で西江の水を飲み尽くせ」という禅の公案(理解不可能な課題)を取り上げ、表通りにある石でできた下馬台を丸呑みにしてほしいと禅問答をしかけた。それに対し徳敷は両手を広げて歌うように「細抹将来」と答えた。これは二重の掛詞になっており、「丸呑みにしろと言うなら、まずはお前が粉末にせよ」と切り返し相手をやりこめる一方で、「演奏開始」の意で楽営将が日頃唱えている「細抹将来」の一句を真似るてお株を奪い、楽営将を揶揄しているのだという。それを聞いた楽営将は、大きな石の台が粉末になるさまをイメージすることで、事物がそのまま空であることを自ら慣れ親しんだ一句のもとに実感したのではないかと小川氏は指摘した。
以上の講読に対し、禅宗における悟りの内容や表現、両手を広げた徳敷の意などについて質問がなされ、活発な議論が行われた。
報告者:柳幹康(東洋文化研究所)