2023年3月30日にEAA「RA研究発表会」が開催された。多様な学問・関心分野や背景をもって集まったEAAユース、なかでもRAはEAAでのさまざまな活動を通して自らの研究を深めており、新たなリベラル・アーツを模索する道のりの最前線に立っているともいえよう。そこで、2022年度を一緒に過ごした6名のRAの研究を披露する場が設けられた。EAA副院長の石井剛氏(総合文化研究科)のコメントが加われ、より刺激的議論のできる時間であった。
RA研究発表会の前半では以下の3名の発表が行われた。一番打者として佟欣然氏(人文社会系研究科東アジア思想文化専攻分野・EAAユース)は「北宋の「一本論」―王安石の「太極論」を例として」を題として今現在取組んでいる研究の一部を紹介した。佟氏は、北宋時代の新儒学諸家による世界一本性(異なる存在(分別性)が存在するが、世界は本質的な一体性を持つ)をめぐり、儒仏交渉の文脈から王安石の思想を検討した。なかでも価値の分別において、「性無善無悪」がどのように位置づけられるかに対する再検討を行っていることを述べた。確かに、儒仏交渉という文脈からのアプローチは新鮮であるが、一体性を議論するにあたっての儒仏や性善・性悪それぞれ分別の観点を今後どのように解消していくかと、石井氏からのアドバイスがあり、論点はより深まった。
次に伊勢康平氏(人文社会系研究科東アジア思想文化専門分野・EAAユース)により投稿予定の論文「観念と力動——牟宗三の「唯心論」再考」を題とした発表が行われた。近代西洋哲学を踏まえて中国哲学を独自に再解釈してきた、現代新儒家の代表的哲学者である牟宗三の哲学について、伊勢氏もそれへの再解釈を試みた。つまり、観念論であると批判されてきた牟宗三の哲学に対して、伊勢氏は、牟の哲学が観念論にとどまらずより根源的な「存在‐力動」の概念を含んでいると主張した。《現象與物自身》や《心體與性體》などを読み直すことで、牟の哲学が「心」よりも根源的な次元、すなわち、「本体宇宙論的実体」という絶対的な存在‐力動の次元に規定された、一種の「唯動論」であることを伊勢氏は明らかにした。「唯心論」から「唯動論」への読み直しがどのような意味を持つのかなど、石井氏からの質問・コメントも行われた。それを受け、伊勢氏の問題意識、すなわち「西洋哲学と東洋哲学の差異」をめぐる議論を深めることができた。
前半の最後に、滕束君氏(総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース・EAAユース)は、昨年日本音楽学会で発表した内容に基づいて、「ラジオ体操から見る近代日本の音楽教育とジェンダー」を題した発表を行なった。滕氏は1928年に始まったラジオ体操を手掛かりとして、近代日本の教育における女性の体育(体操)教育と、そのなかでの音楽の役割・意味を分析した。研究の出発点として滕氏は、1902年に設立された東京女子体操音楽学校の歴史と教育制度を検討した。設立者の高橋忠次郎は女性にとって「身体運営の理」に適合させるために音楽の重要性を力説し、女性体操には音楽、特に鍵盤楽器(ピアノ、オルガン)に合わせた体操遊戯が必要だと主張したことを、滕氏は指摘した。そしてこれを背景にしてはじまったラジオ体操は当時男性的とみなされた体操に「女性的」な要素が加わり、老若男女が楽しめるものとして発展したと、滕氏は主張した。石井氏からは体操への音楽の使用は1930年代に集団を強調する別の機能もあったことや女性・音楽が加わったラジオ体操に対しての反発、それをめぐるジェンダー・ダイナミックス、中国の事例との比較などについて、有益なコメントがなされた。
その後、休憩を挟んで後半の発表が続いた。最初の発表は、ニコロヴァ・ヴィクトリヤ氏 (総合文化研究科地域文化研究専攻・EAAユース)によるもので、「学知の群像、そして困惑――日本と「中国研究」をめぐって」を題された。ニコロヴァ氏は、日本における中国研究の系譜に焦点を当て、それを紐解く一つの試みとして、戦前から戦後への断絶ではなく、同時代中国への視点の分析を通して、ある種の連続性の解明が必要だと主張した。具体的には1930年代の中国研究を「支那研究」として再検討し、現代中国語の使用、西洋研究への注目、科学的手法の追求など、学問の総合的な確信を唱えた人々(群像)の言説と活動を探求する。これらの作業は「支那研究」を唱えた「群像」が築いてきた「学知」を通して単なる中国認識や中国観を超えた中国研究への新たな観点を提供できるのではないか、ニコロヴァ氏は述べた。そのために、ニコロヴァ氏は第三者としての日本と中国の研究のあり方についての悩みも共有し、特に社会に対する責任を持つ「研究者の立場」という課題について考えさせられる時間となった。石井氏からも、学問としての研究が個人や社会に与える価値や影響を意識して取り組むことが重要であり、共同の努力と協力が求められているとの温かい励ましの言葉があった。
次に、横山雄大(総合文化研究科国際社会科学専攻・EAAユース)による「戦後日本の対中・対華漁業交渉史」を題とした発表があった。今現在安全保障問題と絡み合う、海洋秩序をめぐる日中・日台関係について、外交史の観点からその起源と変遷を追跡する必要があると、横山氏は指摘した。すると、食料問題などで1960年まで漁業は東アジア国際関係上のホットイシューであって、1970年代までは東シナ海での日本側の漁撈が攻撃的に行われ、中国や台湾の当局による日本漁船の拿捕や邦人の抑留がみられる。このような状況が逆転し始めたのが1970年代からであると。この過程を「日本側の自主的な漁業覇権の移譲」と捉えた横山氏は独自に入手した外務省の史料に基づき、漁業権や海洋秩序をめぐる冷戦史と絡んだ日本国内政治を分析していくとする。石井氏からは現在東シナ海をめぐって日中関係や尖閣問題が注目を集めているなか、日台・中台関係を視野に入れた横山氏の研究から新たな観点を見出すことができるのではないかと期待が寄せられた。
最後に、上田有輝(総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース・EAAユース)による「価値の経験と有機体論的な心の哲学」を題とした発表が行われた。交換留学先のNYUからの参加・報告で、最後のバッターとなった。いろんな哲学のアプローチをそこで試すことができるような問いのプラットフォームを作りたいという気持ちで、半年間交換留学の中で考えていた「心の哲学」を論じた。特に、心の捉え方として心が外界から切り離された主観的な内面の問題ではなく、むしろ有機体で環境の相互作用という生命的なプロセスであるという捉え方を有機体論的な心の哲学と捉える立場から、価値を経験するという心のはたらきは有機体論的な心の哲学はどのようにとらえられるのかを、上田氏は問いかけた。上田氏はこれは良いのか悪いのかという価値判断において、この価値判断の手前にわれわれがもつ「価値の経験」ということがあると捉え、価値判断の手前で価値を経験する心の働きを、有機的論的な心の働きの観点から、様々な哲学者ないしは哲学的アプローチの検討をもって、価値経験の理論の可能性を模索していくことが、上田氏の研究の目的であるという。上田氏の発表を受け、石井氏からは孟子の心への捉え方が、フロアからは心と意志との関係などが取り上げられ、議論を深めた。
短い発表時間や司会の不手際にもかかわらず、内容の濃密な発表と有意義な議論が行われた。EAAに集まったRA一人一人の研究を進める上での悩みや課題を共有し、新たな洞察を得ることができたのではないか。今後もこうしたワークショップを継続していきたい。
報告者:具 裕珍 (EAA特任准教授)