2022年3月より、EAAメンバーが徳島県東みよし町で行われているおおくすセミナーと哲学カフェに赴くようになってから一年が経った。今回は哲学カフェが30回を迎え、記念の会が、哲学カフェを主宰している関西学院大学教授の山泰幸氏のお招きにより、関西学院大学で開催された。
今回、EAAから参加したのは、張政遠氏(総合文化研究科准教授)、柳幹康氏(東洋文化研究所准教授)、汪牧耘氏(EAA特任研究員)と、報告者の4人であった。羽田から伊丹空港へ飛び、一路、関西学院大学へ向かった。関西学院のオシャレなキャンパスに羨望の目を向けながら、関西学院会館のレストランで舌鼓を打ち、大学の正門前の喫茶店へ東みよし町の方たちがいらしているというのを聞きつけ、合流し、さらにお茶を頂いた。
開始時間が近づき、会場の関西学院会館へと再び向かった。ここで、いつも東みよし町でご一緒している京都大学の防災研究の方たちと落ち合い、また昨年9月の訪問の際に哲学カフェをめぐるドキュメンタリーを撮影されていた映画監督李洪起氏たちとも再会した。
セミナーでは、山氏の開会の辞の後、東みよし町企画課長の谷藤哲也氏から町の紹介があり、哲学カフェの世話人をされている島尾明良氏から哲学カフェの説明と振り返りがなされた。その後、先ほど触れた李洪起氏が制作したドキュメンタリーが上映された。島尾氏のお話では、おおくすセミナーや哲学カフェを通じて、諸ネットワークが網の目のようになっているというのが印象的だった。実際、それらを通じて、地元の方々がつながり(東みよし町は、二つの町の合併によりできており、旧二町の交流が促進されている)、東京や京都さらには世界から研究者が集っていて、EAAもそこへ連なっている。
その後は、セミナーに集った各々が、哲学カフェについて語った。自分の実感、社会的な意義など、いろいろな話がなされたが、昨年12月に初めて参加した柳が、それまでコロナ禍により対面のコミュニケーションが限られていたのに対し、哲学カフェとそれに付随したこと(宿での語りなど)を通じて、対面のコミュニケーションを再び五感を通じて存分に味わい、生きていることを強く実感したと述べていたのが印象的であった。
終了後、車で3時間ほど、東みよし町へと向かい、たっぷりあった乗車時間の中でまたいろいろな話がなされ、宿に着いて、美濃田の湯という近くの温泉に浸かった後で、地元の方行きつけというお店でまた話に花が咲いた。宿に帰ってきてからも、長く対面のコミュニケーションは続いた。
二日目は、東みよし町のカフェパパラギにて、30回記念の哲学カフェが開催された。話すテーマについては前の回に決めているが、今回は「こだわり」であった。参加者は過去最多の33名で、33名がそれぞれこだわりについて語った。
仏教研究者で、前回その思想の説明に「こだわり」という語を用いた柳氏は、「こだわり」の語義について瑣末なことに拘泥するという原義と、他人の評価と関係なしに自分が大事だと思うことを追求するという新しい意味について言及した後で、仏教の悟りについて最近目にしたという説明――それまでこだわり泥んでいた悪い習慣を縁遠いものとし、それまで疎遠であった本来あるべき良き行為に親しみ身近なものにすること――という価値の転換の観点を紹介した。
地元のある方は、人間は万物の霊長だなどと言っているが、結局は欲望を達しようとする野生動物と変わらず、そして戦争が止まないとした。相手にも欲望があり、話し合いでどうして解決できないのかという疑念を語った。
汪は、こだわりについて「良い/悪い」、「内から見て/外から見て」という座標軸を提示して、内からの悪いこだわりには気付きにくいのではないかとした。だからこそ、話し合いをすることが重要だとして、ここでもまた違った意味での話し合い、コミュニケーションの必要性が言われた。
一通り、話が終わり、次回のテーマを決める段となった。各々が一つずつテーマを出し合い、「感動」と「聞こえる」が同数で決選投票となり、「聞こえる」に決まった。提示したのは汪氏である。今回の「こだわり」も元は柳氏が前回用いた言葉であった。前回に続きEAAチーム由来の言葉がテーマに選ばれたことになる。汪氏には今回、島尾氏から景品としてお米が2kg贈られた。
哲学カフェの終了後は、うどんを食べた後(香川のみならず、徳島でもうどんは重要であるよう)、おおくすセミナーを普段やっている大きな楠のところへ行って、さらに、いわゆるお遍路の一番札所・霊山寺を訪問した。これは山氏の提案によるもので、東みよし町への訪問そのものが、張の研究テーマである「巡礼」だというご指摘から、霊場を遍く巡るお遍路の出発の地を訪れた次第である。その後、空路、東京へ戻った。
日ごろ、いろいろな人々が哲学カフェの縁で東みよし町へ行くという中で、今回の旅は、東みよし町の方々が、その縁で関西学院大学へ行く側に回ったということが重要であったと思う。そうして縁は入れ替わり立ち替わりになりながら、広がっていく。EAAが東みよし町と関係するようになって一年が経った。引き続き、このご縁が続いていくことを願う。
報告者:高原智史(総合文化研究科博士課程)