2023年2月11日(土)15時より、第4回EAA研究会「東アジアと仏教」を開催した。今回は小河寛和氏(大谷大学非常勤講師)に、「近代朝鮮における仏教「宗派」観の形成:学術的書物を中心に」と題する研究発表をしていただいた。
小河氏によれば朝鮮では16世紀に禅宗・教宗の両宗が廃止された後、「宗派」が特に意識されることはなかった。ところが20世紀初頭に日本仏教の複数の「宗派」が進出し布教を開始すると、その影響のもと「宗派」への関心が高まっていく。その例として小河氏は教団の動向と学術研究の記述の二つを挙げてくださった。教団の動向としては、1908年に開創された円宗、およびそれに対抗して1911年に結成された臨済宗など、「宗」を自称する集団が現われる。両宗は朝鮮総督府の介入により、1911年に禅教両宗という名称で統合された。一方、学術研究においては権相老の『朝鮮仏教略史』(1917年)、および李能和の『朝鮮仏教通史』(1918年)が朝鮮仏教の描写に宗派の分類を導入している。これはいずれも書物を介して、日本仏教の宗派の枠組みを摂取したものだという。
以上の発表に対し、小川隆氏(駒澤大学教授)、宋東奎氏(東京大学院生)、および柳より様々な質問が寄せられた。日本による統治が始まり、日本仏教の宗派が進出するなかで、朝鮮仏教が「宗」を名乗り結束したことの政治的な意義とは何であったのか、今日の最大宗派の曹渓宗においていかなる法系(禅宗の伝法の系譜)が主張されているのか、曹渓宗が宗祖・重闡祖・中興祖として重視する三名の禅僧道義・知訥・太古普愚は法系で繋がっていないが、その断絶はいかに解釈されているのか等々である。これらの質問に対し小河氏より現時点での見通しが示され、それに対するコメントも続き、非常に活発な議論が行われた。
これまで4回開催された研究会では、近世ないし現代の日本・中国・朝鮮各地の仏教に関する発表がなされ、当時の東アジア各地における仏教の動向とその関係が朧気ながら見えてきたように感じた。ひきつづき議論を重ね、その解像度を高めていきたい。
報告者:柳 幹康(東洋文化研究所)