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2023.01.23

【報告】ジャーナリズム研究会第九回公開研究会

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2023年114日、ジャーナリズム研究会がZoom上にて開催された。第9回となる今回は、19世紀後半から20世紀初頭のインドと日本における女性向け雑誌に焦点を当て、基盤研究(B)「インド諸言語雑誌にみる近代思想の受容と女性表象」と共催で行われた。

最初の発表者は、ヒンディー文学、インド地域研究をご専門とする小松久恵氏(追手門学院大学国際学部准教授)であった。氏の発表「近代北インドにおける女性雑誌文化と「わたし」の物語」は、19世紀後半〜20世紀初頭のインド、特にヒンディー語圏における女性雑誌のうち代表的な三誌を取り上げ、そこに現れた読者の声を分析、女性雑誌が果たした役割に迫った内容だった。以下、梗概を報告する。

最初に、女性雑誌の誕生までの文化史的な基本情報や、初期雑誌の特徴などが説明された。インドでは、19世紀後半から社会改革運動の一環として女性問題が取り組まれはじめ、1856年に最初の女性雑誌が創刊されたと言われる。しかし、男性が主導していたこの時点では、女性の自立や権利は俎上に載せられていなかった。

20世紀に入ると、後進的立場にあったヒンディー語圏は独立運動の中心地となる。出版文化の発展と共に雑誌の発行が相次ぎ、女性の立場からも発信されるようになった。講演では三つの主要雑誌『Grihalakshmi(家庭の女神)』『Stri Darpan(女性の鏡)』『Chand(月)』が分析され、詳細は省くが、比較を通じて各誌の特色や、テーマの多様性が浮き彫りとなった。

終わりに、読者投稿欄に寄せられた実例を複数紹介した上で、小松氏は「絶対的な男性優位の社会規範に挑戦する声の存在」を指摘し、女性雑誌が読者に「一体感」「知識 / 自覚」を与え、家庭外の世界をみせる「窓」の役割を担ったと結論づけた。

発表後には質疑応答が活発に交わされた。当時の雑誌の入手方法、創作文学的な投稿の有無、イギリスとの影響関係、「一体感」を喚起するなかでの男性の位置付け、編集方針の転換の要因など、多くの疑問が寄せられた。

続く前島志保氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)による発表「明治末期における「婦人雑誌」の誕生」は、女性を主な読者とした「婦人雑誌」というジャンルの誕生が、女性史においてはもとより出版史における転換点でもあったことを示すものであった。

「婦人雑誌」誕生以前の女性向け雑誌は、文体や体裁において評論雑誌(のちの総合雑誌)と類似しており、男性読者も想定していた。評論雑誌は論説文や文芸を中心としつつ、家庭や子育てに関する記事も掲載していた。しかし前島氏によれば、当時の教育政策などを背景に1890年代頃から「雑誌の性差化」が徐々に生じ、20世紀初めには内容・体裁・編集手法における両者の対比が鮮明になった。

 

家庭記事など私領域に関する内容は評論雑誌から姿を消し、女性向け雑誌で積極的に扱われるようになった。多色刷の表紙や口絵・写真を多用し「です・ます」体を用いる女性向け雑誌と、視覚表現が少なく「だ・である」体を用いる評論雑誌の差も広がった。さらに談話筆記による実用記事や、読者投稿を活用した相談・体験告白記事など、今日ひろく見られる編集手法が「婦人雑誌」に特徴的なスタイルとして登場した。こうして評論雑誌と対照的な「婦人雑誌」の輪郭が浮かびあがるなか、想定読者も女性が主となり、男性読者は排除されていく。最後に前島氏は、「女性的」な媒体としての「婦人雑誌」が活用した編集手法が、同時代の欧米でみられたジャーナリズムの大衆化とも呼応していたことを指摘した。

フロアからは、「婦人雑誌」の読者層のその後の広がり方や、「雑誌の性差化」と編集者の来歴の関連、画報誌や映画・演劇雑誌と「婦人雑誌」との関係、広告について質問があがった。また小松報告での北インドの女性雑誌にみられた「(家庭での母・妻としての役割と切り離した)個」としての女性像は日本の「婦人雑誌」にも存在したのか、といった興味深い議論も展開された。

終了後は発表者を交え、1時間弱オンライン懇談会を持った。雑誌資料の保存・活用状況の問題点や、様々な論点を提供する雑誌は分野を超えた共同研究の形ではじめて十全に研究できるという認識などについて、考察対象の地域的文化的境界を超えて意見交換がなされた。今後の継続的な学術的交流を約して散会となった。

 

前半報告者:鶴田 奈月(東京大学大学院博士課程)
後半報告者:尾﨑永奈(ボストン大学大学院博士課程)
監修:前島志保(東京大学大学院総合文化研究科教授)