2022年11月21日(月)に弘前大学にて「風土、そして故郷喪失の危機――香港・福島・ウクライナをめぐって」と題したについて講演を行った。和辻哲郎は『風土』において、モンスーン型・牧場型・砂漠型を提示し、「瑞穂の国」である日本の風土を「モンスーン型」としている。英語圏では風土はを一般的にclimateとに訳されているが、A. ベルクは『Le Sauvage et l’artifice(野生と人為)』(邦訳:『風土の日本』)の中では、風土をmilieuと訳し、場所・風土・空間に関わっている「風土学」(mésologie)を唱えている。さらに、ベルクはérème とécoumène、つまり、非居住域と居住域についても持論を展開していく。例えば、日本の場合において、山(非居住域)と里(居住域)の間に山の辺という境界があり、春には山の神が人里の方へ下り、そこで田の神となり、秋になると反対方向へ移動する。非居住域と居住域をめぐる神々の旅は、自然と文化の周期的な関係を象徴するとされている。また、非居住域を居住域にすることは「開拓」であり、それは日本の風景のをアイヌの土地へのに複製したこととして理解することができる。私は、風に土というは「風」(文化的な意味)と「土」(自然的な意味)という切り離すことができない部分があり、milieuよりもterroirに訳したほうがよいいと考えている。フランス語のテロワール(terroir)は、terre(土地)から派生した言葉であり、それはワイン、・コーヒー、・茶などの場合、生育地の地理、地勢、気候による特徴を指すさしている。さらに、スペイン語のテルーニョ(terruño)には、土地とその風俗と文化だけではなく、先住民族の居住域=故郷(homeland)という意味もある。メキシコの先住民族にとって、テルーニョの喪失はまさに故郷喪失であるといえよう。ウクライナの国旗は青い空と黄色い麦畑の風景と言われているが、これはが風土そのものの美学的表現だと思われる。政治・災害・戦争などで空が灰色となり、大地が血に染まる。私たちは風土喪失だけではなく、故郷喪失(Heimatlosigkeit)の危機にも直面している。故郷を護ることは、まず風土を守ることである。
報告・写真:張政遠(総合文化研究科)