10月31日、「訳者と共に読む『中国における技術への問い』読書会」の第二回が開催された。前回に引き続き、運営チームの汪牧耘氏(EAA特任研究員)、
今回は『中国における技術への問い』序論を取り扱った。はじめに伊勢氏が内容紹介を行い、それに基づいて参加者の間で議論を交わした。序論では本論を先取りする圧縮された論述が展開されるため、立ち入った検討は先送りとした論点もある。しかし、総じて本書全体を通じた問題意識とそれに取り組む著者の方法論について、多様な関心を持つ参加者の間で解釈を共有し、今後の批判的読解に向けた指針を得ることができたように思う。
筆者なりに要約すれば、とりわけ議論を通じて浮かび上がったものの一つが「歴史」の問題であった。著者のユク・ホイは、西洋に端を発するテクノロジーがこの惑星を覆い尽くしつつある現代において、技術の多様性という問いを立てることの重要性を強調する。しかしこの企図はそもそも、根本的にハイデガーの技術論やその時代診断から出発しているものでもある。実際には、西洋の科学技術と中国をはじめとする非西洋圏の近代化の過程との関係は複雑であり、技術支援や開発支援の文脈で試みられてきた多くの理論や実践も存在する。より原理的なレベルでは、スティグレールが展開し著者が引き継いでいる、技術と時間意識の関係という問題設定の検討も必要だろう。それゆえ著者の議論は少なくとも、ハイデガーの哲学史観をどのように引き継ぐのか、中国の技術的近代化の歴史をどのように語るのか、非西洋圏とテクノロジーの現在進行形の関係をどのように哲学的に捉えるのかという三つの問いに開かれていると思われる。これらの問いそれぞれに、本書はどう応えているのか。参加者の多様なバックグラウンドを生かして吟味していきたい。
哲学的思索の重要性は、問いに応えることと少なくとも同程度には、問いを立てることにある。前回と今回の議論を通じて、ユク・ホイが立てる問いについて多くの検討を加えることができたと思う。次回からはいよいよ本論に入るが、引き続き批判的で活発な議論の場を作っていきたい。
報告者:上田 有輝(EAAリサーチ・アシスタント)