東アジア藝文書院は「書院」という日本の大学ではあまり聞き慣れない名称を掲げてスタートしました。第1期の3年を終え、現在は第2期目に入っています。この間、新型コロナウイルス感染症の世界的流行というまったく予期しなかった事態に見舞われた結果、この「書院」を預かるわたしとしては、重要な想像の手がかりを得ることができました。つまり、「書院」という今は実体のない「空の器」に何を託していくべきかについて思いをめぐらせるのに有益な時間を過ごしてきたのです。第2期以降は、その中で考えたことをもとに「書院」的なものにいかなる制度的な実質を与えていくのかが問われてきます。そのためにEAAの皆さんと共に想像をめぐらせてみる試みとしてまずは2022年9月27日に第1回をやってみました。
今回は、「EAAの発足背景と三大ミッション」をテーマに据えました。これについては、五神真前総長がその著書『新しい経営体としての東京大学』のなかで、詳しく紹介しています。
「三大ミッション」というのは、研究、教育、そして社会連携です。この三者はそれぞれに重心がありますが決して截然と区別されるべきではなく、相互に支え合って三位一体になることが来るべき「書院」における核心的なポイントです。「東アジア発のリベラルアーツ」は、この三位一体構造を統合する理念として、いずれの三者においてもその意味が探究され、実践されていくことになります。
リベラルアーツとは何か?これは実は一筋縄ではいかない問いです。VUCAと呼ばれる時代の中で産業界でリベラルアーツに対する需要が高まっていますが、それを単に「豊かな教養」ととらえるだけでは意味を成しません。いったい何が教養なのかという問いがたちどころにあらわれ堂々めぐりになるだけです。今日一般に「リベラルアーツ」と称されるものは、中世ヨーロッパのいわゆる自由七科とはほとんど関係がなく、教養と互換可能な「何か」だと思われます。そして、わたしの中でその「何か」とはほとんど疑いのないまでに答えが決まっています。それは哲学です。しかも、今日の大学の中で専門領域として確立している哲学ではなく、philosophyの原義である「智慧に対する愛」としての哲学です。ソクラテスが行ったような、弁論と吟味によるその「愛」の表現のかたちこそが、教養=リベラルアーツの骨格をなすべきだと思います。哲学としての教養によって世界をよりよいものへと変革していくことが今求められているのだと言えるでしょう。
ところで、ソクラテスは石工でした。この事実はおろそかにしてはいけないもののように思います。思い出すのは、サン=ヴィクトルのフーゴーが哲学修得後に陶工として訓練をすべきだと主張していたことです(詳しくは阿部謹也『「教養」とは何か』)。道具を使って手を動かすこと、言語のみならず身振りによって世界に交わること。この2点は、今日の文明において人間であることの意味を再考する上でも重要なことだとわたしは思います。世界に触れ、それとともに変容していくための技法として、手を動かし、道具を使用することはおそらく人間としてよりよく生きるために根源的に重要なことであるにもかかわらず、今日の大学ではあまり重視されていません。
「書院」が今日の中国の大学で新しい教育モデルになっていることについては、これまでもEAAで取り上げてきました。そこでは「書院」はresidential collegeと翻訳されます。そのモデルは、中国で古くから行われていた書院(白鹿洞書院、岳麓書院、鵝湖書院などは有名ですね)のみならず、ケンブリッジ大学のようなイギリスの名門大学のカレッジ制度や、アメリカのリベラルアーツ・カレッジなど、単一ではありません。それらに共通するのは、学生のみならず教員も含めて寝食を共にした学問の共同体を形成していることです。こうした寄宿制書院の価値は、COVID-19によって授業がオンライン化された経験を経て、改めて再認識される必要が出てきました。一例として、ハーヴァード・カレッジが2020年秋学期に、新入生の全員をキャンパスに迎え入れたことが思い出されます。その理由は、「ハーヴァードは孤立ではなくつながりのために設立された」のであり、「寄宿制の自由な教養がわたしたちのアイデンティティの核を成すのだと思い出す」ためだといいます(詳細はhttps://college.harvard.edu/about/deans-messages/fas-fall-2020-plans)。リベラルアーツとしての哲学がよりよく探究されるために、こうした環境に身をさらす経験はきわめて重要です。
宇沢弘文の『社会的共通資本』は、こうしたことをこの3年間に考えてきたわたしにとってもたいへん励みになりました。宇沢が「プライマシーとしての大学」について論じているのがそれです。そこで中心にあるのは「idle curiosity(自由な知識欲)」と「instinct of workmanship(職人気質)」だと言います。彼自身はそのモデルとなったケンブリッジ大学に残る選択をしませんでした。その理由は読めばわかりますが、イギリスのカレッジにはある種の限界があったのです。
わたしたちの来るべき「書院」は、限りなく先端に向かって開かれた国際性と、智慧を愛しながら共に探究し合う場とを、社会との相互浸透の中で実現するものであるはずだと思います。そこでは「東アジア」をわたしたちが冠していることの意味が改めて問われてくることになるでしょう。これについては、また別の機会に議論しなければなりません。
この研究会はとりあえず「第1回」としておきました。わたしだけでなく、ほかのメンバーにも自らが描く理想の「書院」を語ってもらい、アイデアをより豊かにふくらませていけることを期待しています。
報告者:石井 剛(総合文化研究科)