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2022.11.25

【報告】第13回東アジア仏典講読会

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2022年7月23日(土)日本時間14時より、第13回東アジア仏典講読会を開催した。今回は小川隆氏(駒沢大学教授)と張超氏(PSL研究大学フランス高等研究実習院常任副研究員)により、それぞれ『宗門武庫』と『勅修百丈清規』「月分須知」の講読がなされた。なお張氏の講読は中国語でなされ、柳幹康が通訳に当たった。

『宗門武庫』は宋代禅林の逸話を集めたものであり、今回は第6段の景淳の話を会読した。景淳は詩文に秀でた禅僧で、当時別の高僧のものと知られていた佳句も実は彼の作品なのだという。修行にも日々励んでいたが、経行(瞑想や運動のため心静かに歩くこと)の最中に足を踏み外し転んだことで、人事不省となり詩文のことも分からなくなってしまった。後にそれを聞いた兜率恵照という禅僧は恐れ戦いて次のように言ったという、「今生で悟れなければ自分も景淳と同じだ。一度つまずいただけで全て忘れてしまう。ましてや死して転生した後のことなど言うまでもない」。

小川氏は本書以外の禅籍から関連の記事を多く集め、景淳の人柄やその詩の内容、兜率が驚愕した背景などについて詳しく解説してくださった。その後、当時の禅僧の詩文に対する意識や語句の解釈などを巡って議論がなされた。

『勅修百丈清規』は元代に整理された禅宗の規範であり、「月分須知」はそこに収録される年中行事である。前回に続き今回は四月の行事を読み進めた。四月には旦過寮(客僧が暫時宿泊する建物)を閉ざし、これ以降八月まで修行僧の受け容れを停止する。四五日に告香(禅師の説法を請う儀式)を、八日に浴仏会(仏の誕生を祝う儀礼)を、十三日に楞厳会(安居中の修行僧の健康を祈る儀礼)を行い、十五日から安居(三ヶ月の修行期間、外出せず坐禅に励む)に入る。その際、僧堂(修行の場)の暖簾(秋冬用のすだれ)を外し涼簾(春夏用のすだれ)に替える。

張氏は関連の資料を引きつつ各儀礼の内容や起源などについて詳説するとともに、告香や暖簾の図をご紹介くださった。また儀礼中の所作として示される叉手(両手を胸の前に重ねる所作)について、石井清純氏(駒沢大学教授)より補足の説明があった。

今回は逸話と制度の両面から禅僧の思想・生活について理解を深めることができた。「月分須知」の残り八ヶ月分については次回以降引き続き読み進めていく予定である。

報告者:柳 幹康(東洋文化研究所)