2022年3月25日から3月27日にかけ、EAA「民俗学×哲学」研究会では、徳島県東みよし町において出張研究会兼フィールド研修を行った。今回、東京大学からは私たちEAAと多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)のスタッフおよび大学院生が同行した。内訳は、EAAから報告書執筆者(前野)、張政遠氏(東京大学)、高原智史氏(EAAリサーチ・アシスタント)の計3名、IHSより梶谷真司氏(東京大学)、金美恵氏(IHS特任研究員)およびIHSの3人のプログラム大学院生の計5名である。
初日、空路で徳島入りした8名は、徳島空港にて山泰幸氏(関西学院大学)および東みよし町役場職員の方々と合流した。東みよし町は、徳島県西部の、香川県境にも近い西阿波に属し、日本列島の大断層である中央構造線がつくった谷地の中の町である。東阿波の海沿いにある徳島空港からは、高速に乗ってほとんど徳島県内を横断する距離を走らなくてはならない。この町は、本研究会第1回の山氏報告にあった、同氏と地域の人々の長い交流の地でもあった。町内に到着した一行は、早速東みよし町役場を訪問した。役場では河原誠男副町長がお忙しいなか私たちの表敬訪問を受けてくださった。表敬訪問ののち、一行は高速インターチェンジそばに作られた交流スペース、「吉野川ハイウェイオアシス」で、役場各課の方々より東みよし町の概要及び山氏ら大学教育関係者との連携の経緯についてレクチャーを受けた。レクチャーにつづき、東みよし中学校の中学生6人が、私たち東京からの来訪者との交流の機会に参加してくれた。東京からの一行は若くとも20台半ばの大学院生だけに、話題の糸口探しに双方とも探り探りで、中学生たちが何かしら対話の意義を感じてくれたものか十分な自信は持てない。しかし地域の中では稀な人種と接触した機会というものを、何年かののちにせめて回顧してもらえれば幸いに思っている。
初日の宿泊は、東みよし町から更に川(吉野川)の上流を遡った、高知県境が近くなる祖谷(いや)地区の民宿であった。西阿波は2018年にFAOから「傾斜地農耕システム」が世界農業遺産に指定されている。祖谷の一帯も、古くはカヤ・ソバ・雑穀を広々とした山面で育てる典型的な傾斜地農耕の場所であった。しかし現在ではかつての斜面が造林によってスギ林に変わるか、住民の平野部への移転によって多くの家屋が空き家化するなど、かつての景観が大きな変貌を遂げつつある。この晩は、一同日付が変わるまで、大学との新しい教育的連携や、地域的な知的活動のサイトの構築をめぐって論を交わした。
第2日はかなりの雨交じりの強風であったため、当初予定していた傾斜地農耕が続く集落(落合集落)への訪問は断念し、東みよし町へと早い時間に引き返した。東みよし町の平野部にある、三加茂(みかも)地区は、同町の各種住民活動の中心地であるが、その中央には天然記念物の巨大なクスノキが生えている。この大クスノキのそばに整備された多目的活動スぺース「おおくすハウス」にて、第6回の「民俗学×哲学」研究会が行われた。今回報告は、梶谷氏の「哲学の民俗学的転回──知識と身体の多層性と歴史性」である。本報告では、同氏のこれまでの学問の試みを「哲学の民俗学的転回」として総括しつつ、とくに身体および医療知識に対する民衆的合理性(popular rationality)をめぐった報告をしていただいた。報告では、アーサー・クラインマンの医療人類学研究等とも比較しながら、専門知の社会における構造的配置は、専門知をブリコラージュする民衆知の側によって支えられているのではないかとの指摘と、そこから転じて、より広い意味での知識の社会的構成の探索をめぐった問いかけが行われた。そしてコメンテーターの張氏のコメントを契機に、ワクチンをめぐる「民衆知」の問題にいかなる立場をとるかをめぐって、かなり実際的でもある議論が交わされた。当日は、京都大学防災研究所の先生方にも研究会に参加していただいていた。土木・防災技術の実際的な導入に取り組み、かついわゆる「学際的」活動に取り組んでこられた立場から行われた、文理双方からしばしば行われる学問の「つまみぐい」批判に対する反批判は非常に有意義なものであった。学問が相互に「つまむ」ことに対して、各々互いに好意的に、コミュニカティブにふるまうべきではないかとの提案には、報告執筆者も大きく賛同する。
最終日の第三日午前は、山氏が東みよし町周辺の皆さんと実践してこられた、哲学カフェにお邪魔した。P4C(フィロソフィー・フォー・チルドレン)などの哲学カフェがどちらかといえば米国由来のスタイルを踏襲しているのに対して、山氏の東みよし町での哲学カフェは、同氏のフランスでの経験を参考に構築したスタイルという。東みよし町近隣自治体の方々が3ヶ月に一度のペースでつどい、今回はなんと第26回目の開催であった。この日のテーマは「世界意識」だった。難解な字面にEAAおよびIHSからの面々も戸惑ってしまったが、むしろ様々な解釈の余地のあるこの言葉に対して、多様な相互に異なる連想を交換し合えた点において、結果的にとてもよいテーマ設定であったもののように思う。「世界意識」から各人の連想したテーマは、主として世界–についての–意識、世界–に対する–意識、世界–なるもののもつ–意識の3つに区分できたように捉えたが、これに加えて「世界」そのものの捉え方についても、内的世界・身辺世界・地球世界の3次元からそれぞれに知の交換を行いえた貴重な体験であった。徳島県西部=西阿波には大学が立地していないことから、こうした「アカデミックな」社会と地域が接触を持つ機会はどうしても少なくなってしまう。哲学カフェの試みに見られる地域側の潜在的ニーズをふまえるならば、人材リソースをストックとして多数抱える東・名・京・阪の大学が、地域ブロックを超えて各地にサテライトを設けるようなフロー的人材還流のあり方も、将来的には検討されてよいのかもしれない。
午後は限られた時間を用いつつ、「傾斜地農耕」の実践されてきた法市(ほいち)集落を訪れることができた。山氏が2009年の民俗調査実習で最初に訪れ、東みよし町との連携のきっかけとなった場所であるが、それから10余年を経て集落の高齢化は極めて進行している。当日も集落の住民の皆さんが集落道路の草刈りを行う「道普請」を行っておられたけれども、いずれも80代の方々ばかりという。現在は東みよし町のNPO三好素人農業事研究會のみなさんが法市の農地の一部を借りてソバの栽培を行っており、集落内の神社の祭り(現在は毎年10月第1日曜)等の機会には行事実施のための人的なサポートを行っている。集落訪問後は、初日に訪れた「吉野川ハイウェイオアシス」に戻り、EAAとIHS、および役場職員のみなさんとで、3日間の経験とそこから得られた今後の地域活動のヒントについて、簡単な意見の共有セッションを行い、3日間の総括とした。
3日間のきわめて限られた期間であり「調査」の形でもなかったが、報告執筆者にとっては2年ぶりの「フィールド」であった。何気なく挨拶を行い、何気なく人々から過去の記憶を伺うたびに、過去のフィールドワークの身体感覚が熱く身体の内よりよみがえってくるのを感じた。いまだコロナウイルス感染症の流行が続くなか、東京からの一行を丁寧な準備のもとに受け入れてくださった東みよし町職員のみなさまには、あらためて深い御礼を申し上げたい。今回の東みよし町訪問は非常に貴重な出逢いであったけれども、長く広くつながる結縁(けちえん)として、交流の糸をつないでゆけるならば、それは日ごろ東京に住まう私たちにとっても貴重なリソースとなっていくであろう。
報告者:前野清太朗(EAA特任助教)