2022年1月24日(月)、張潔宇氏(中国人民大学文学院)による講演「魯迅の雑文をどのように理解すべきか」がオンラインで行われた。同講演は今年のEAA連続ワークショップ「中国近代文学の方法および射程」の第一回目に当たる。
魯迅(1881-1936)は、日本でも広く名を知られた中国近代文学を代表する作家であり、膨大な量の研究が今に至るまで途切れることなく積み重ねられてきたが、近年は魯迅の作品の中でも、「雑文」と呼ばれる独特の形式が特に大きな注目を集めている。今回、張氏は魯迅研究と雑文研究との密接な関係について強調したうえで、文体概念としての雑文および実践としての雑文という二つの観点から、魯迅の雑文を理解する方法について非常に丁寧な分析を行った。
魯迅によって書かれた雑文は分量的にも多く、特に後期の魯迅にとっては殆ど唯一の形式であったと言っても過言ではない。そして、魯迅がそこまでの熱量を以て雑文を執筆したことの根底には、行動の美学という魯迅自身の文学観が存在した。但し、魯迅は文学の芸術性ないし審美性を放擲し、それに取って代わる新たな文学的基準を提出したというよりも、文学に対する新たな概念を示すことによって、単なる芸術至上主義や審美主義に限定されがちな文学性そのものを問い直し、突破しようとしたのだと言え、この点において、私たちは魯迅の雑文の文学性というものを改めて考え直す必要があるのだと張氏は主張する。
「青年必読書――『京報副刊』の要求に応じて」において、魯迅は中国の本よりも外国の本を読むべきだと主張したのだが、それは読書とは畢竟「人」の問題であり、「生」の問題であると魯迅が考えていたためだった。なおこの「生」の問題は、散文詩集『野草』においても、重要なテーマの一つとなっていた。そしてそのうえで、魯迅は同文において、今の青年に必要なのは「言」ではなく「行」であると述べている。ここからは、文章の創作はそれが行動であって初めて意味を持つという考えを、魯迅がこの時点で既に有していたことが伺えるが、これは行動的な文学創作という後の考え方へと繋がってゆくものだった。
魯迅のこのような、単なる審美主義に限定されない、もう一つの美的価値の追求は、彼が直面した中国の歴史的現実に対する判断に基づくものであった。言い換えれば、魯迅は目の前の現実に対して、文学という形でどのように応答すべきなのかということを考えていたのであり、その結果の一つが雑文であったということである。古典文学や感傷的な浪漫主義文学とは異なる文学性を備えたものとして雑文という形式を打ち出した魯迅はしかし、従来のそうした美的基準に完全に取って代わるものとして雑文を提出したというよりも、寧ろ美的基準が画一化している現況に対して補足を加え、それを相対化するための契機として、雑文の文学性という観点を提出したのだと言える。
それでは、このような意義を持つ魯迅の雑文が備える芸術的特徴とは、一体如何なるものだったのだろうか。この点について、張氏は「花なきバラ」、「砂嵐の中の傷跡」、「情のある諷刺」、「堅固な筆致」という魯迅自身の言葉を用いながら分析を試みた。魯迅には「花なきバラ」という題の文章があるが、魯迅は自身の雑文についても、同文で言及されるような、花のなく棘しかないバラに比していたのだと考えられる。また「砂嵐の中の傷跡」は『華蓋集』の題記に登場する言い回しで、この表現も、現実に根差した、生きた真なる美の追求という魯迅の姿勢を示したものであると言える。一方、「情のある諷刺」とは「情のない冷笑」に対置される概念である。魯迅は「諷刺」という概念自体を、単なる罵倒に近い「遣責」とは異なる婉曲的でありながら深い批判性を讃えたものとして考えていたのだが、このような諷刺性も魯迅の雑文の重要な特徴の一つである。また「堅固な筆致」は魯迅が小品文について言及した際のキーワードであるが、これまでに確認してきた魯迅の雑文の核心を念頭に置いて考えるのであれば、雑文と小品文の違いは技術的なものであったというよりも、寧ろ精神的なものであったと考えることができる。
以上のように、魯迅の雑文という形式はある種の行動上の美学であり、また既存の美的価値ないし文学的基準に対する読み直しの実践でもあった。それは張氏が講演の最後に引用したように、魯迅自身の文章において明確に示されている。「雑文は、その「詩史」的な雄心、「情のある」姿、世事の「雑」と「真」への洞察と拘泥、および「鋭く適切な」「堅固な筆致」によって、「私たちがこのような場所で生き、私たちがこのような時代に生きる」ために「証拠を示す」という目標を実現したのだ。」(『且介亭雑文』附記)
魯迅の雑文という、近年注目されているテーマに正面から向き合った本講演の内容は、以上のように極めて明晰なものであった。講演後に設けられた質疑応答の時間では、中期の魯迅における散文詩という形式と後期の魯迅における雑文という形式の違いに関する質問や、昨今の若者が当時の文脈を捨象する形で魯迅の文言を引用し、自身の主張の補強とするという興味深い現象についての指摘、更には雑文という形式は魯迅にとって一種の仲介物であり、文学から現実への橋渡しを担う存在だったのではないかという重要な指摘が提出され、講演は盛況のうちに幕を閉じた。
報告:田中雄大(東京大学人文社会系研究科博士課程)