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2021.11.26

【報告】『conception -こもり-』上映会 

20211124日(水)10時より101号館映像制作プロジェクトにおいて制作した映像作品『conception –こもり』の上映会が101号館セミナー室にて開催された。

 

 旧制第一高等学校時代の歴史資料を調査して映像作品を制作することを目的とした101号館映像制作プロジェクトを進めるにあたって考えていたのは、どうしたら現在の駒場においていまはもういない一高生たちの姿を捉えることができるのか、という問いだった。しかし、昨年末から今年初めにかけて計7回行われたワークショップを経て、旧制一高時代に限らず、駒場という場所には幅広い時代の歴史、無数の人々の一様ではない記憶が重層的に刻まれていることを痛感した。

 本作品は、果てしない時間を堆積させる駒場の地層を近過去から掘り起こす作業が、激しい変遷を辿ってきた駒場キャンパスをよく見ることにつながるだろうと考えた報告者である小手川将(EAAリサーチ・アシスタント)の発案を、日隈脩一郎氏(EAAリサーチ・アシスタント)が受けとめて監督・脚本・編集・撮影を務め、髙山花子氏(EAA特任助教)が撮影助手を務めながらプロデューサーとして統括し、一高研究者である高原智史氏(EAAリサーチ・アシスタント)の支えによって実現したものである。

 また、本作品は、第5回ワークショップにて、詩人・吉増剛造氏とともに駒場を歩き、同じ空間を共有していながらも語りのなかで時間がずれていくようだったという経験を共有してくれた星野太氏の話を参考にして、駒場に縁のある方をお招きして一緒にキャンパスを散歩しながら自由に思い出を語ってもらうところを映像に収める、という形式をとった。聞き手は、企画者の小手川が務めた。

 

8月4日、日向光子氏の撮影

 

 撮影は今年の7月から8月にかけて行われた。それぞれ駒場で長く過ごしながらも、異なる風景を経験してきた4名の方々にご出演いただくことができた。2001年に東京大学教養学部に入学して現在は総合文化研究科の准教授である星野太氏、東大生協購買部に1997年頃から20年ほど勤めている家栁貴子氏、東大生協書籍部に1988年から33年勤めている日向光子氏、そして、1968年に東京大学教養学部に入学してから2015年に東京大学を退官するまで人生の大半を駒場で過ごした小林康夫氏である。

 

 上映会当日は、制作チームにくわえて作品に出演していただいた方々を招待し、ご参加いただいた。また、東大生協書籍部の店長・足立裕太氏と、東大生協購買部の店長・杉田豊氏にもお越しいただいた。

 

左から、星野太氏、家栁貴子氏、日向光子氏、小林康夫氏

 

 駒場についての各人の個人的な記憶を1718秒にまとめた『conception –こもり』は、いまはもうない駒場寮や旧生協のこと、自然豊かな駒場の植生について、はじめて駒場に来たころの印象など、まったく異なる視点から湧き出てくる駒場にまつわる語りの声が、現在の駒場キャンパスの風景とともに入り乱れるように聴こえる、音声と画面が分離された実験的な作品である。たとえば、駒場寮ひとつとっても、寮取り壊しの陣頭指揮にあたっていた小林氏、寮が閉鎖されたときは学部生だった星野氏、寮内にあった小さな売店でパンをよく買っていたという日向氏、寮廃止時に正門からずらっと警備員が並んでいたのが印象的だったと話す家栁氏では、語りと想起の質が大きく違ってくる。本作品は、そうした多層的な駒場の風景に迫るという意図のもと、たとえ言葉が不明瞭で聞き取りづらくなったとしても4つの声を重ねるなどして、簡単には捉えられない駒場の風景を示そうとした。

 また、作中には、20071216日に開催された「共生と詩(1)吉増剛造と《友愛の庭》」というイベントを記録した短編映画『眼の底』(監督・撮影・編集:平倉圭2008)から、小林氏と吉増氏が駒場図書館前から一二郎池まで歩いている映像を引用させていただいた。駒場という場所のイメージに時間的なずれをもたらす映像の引用、小林氏と吉増氏の姿とともに映される十数年前の駒場の風景は、本作品に豊かなエッセンスを加えたことと思う。作品の引用を快諾してくださった平倉氏にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。

 

 

 作品鑑賞後、日隈氏からあらためて作品の企画趣旨が伝えられた。駒場キャンパスは、後期課程進学前の教養学部という学科課程上のいわば「原野」であり、かつ、大都市東京において貴重な植生を示す「野原」でもある。そのような駒場の原野性、自然性に本作品は焦点を当てていると述べた。続いて、高原氏が、本作品の企画を、旧制一高時代の歴史や当時の建造物を擁する駒場=一高を調査する一高プロジェクトの中に位置づけた。また、聞き手として4人の語りに耳を傾けた私から、作品には収まりきらなかった各人の具体的で想像をかき立てられる思い出の数々を、撮影時のスチールとともに紹介しながら、ご参加いただいた方々と自由に話をする時間になった。

 

 

 そのなかで、作品について星野氏に、角度のついたカメラのアングルやクロースアップの多用、画面の色調などに触れ、本作の視点は非人間的なものだと評していただいた。また、杉田氏は、いまはもうない旧生協や駒場寮の記憶が想起されたと述べ、みずからの個人的な駒場の思い出を語ってくださった。その旧生協の建物は戦後、60年代ごろに建てられたのではないかと小林氏は指摘し、本作品に登場する駒場の建造物は比較的新しいものが多く、1号館や101号館など一高時代からある建物はほとんど映されていない点を突いた。また、小林氏は、この作品は駒場の歴史にフォーカスするものではなく、駒場という場所を捉えようと悪戦苦闘するさまを映した作品になっていると鋭く指摘し、捉えがたい駒場の姿にどうにか形を与えようとする過程を表現しているところが、本作のタイトルである『conception –こもり』に含まれている「概念化」や「身籠り」といった意味につながっているのではないかと解釈した。

 これを受けて、日隈氏は、出演いただいた4人の語りはあまりにも密度が濃く受け止め切ることが難しかったこと、しかしそれでも何とか応答しようという意識が作品に表現されたのだろうと述べた。また、小林氏から、俯いて地面を映すショットが作中に多用されていて、これが監督の視点を示すものになっているという指摘に、日隈氏は自分にとって駒場が憧れの地であり、その地面を歩く自らの足取りを確かめる無意識が表れてしまったのかもしれないと返答した。駒場キャンパスは本郷キャンパスと異なり建物間を歩いて移動するような場所であるという小林氏の洞察も、個人的にはスリリングだった。

 作品観賞後も、駒場という場所をめぐって、それぞれの考えや経験が交わされて、何かを思い出すようにして発せられる言葉が駒場という風景を紡いでいき、小さなひとつひとつの記憶が空間というものをかたちづくっているということを感じる時間になったのではないか、と思う。

 

 それぞれ長く駒場を過ごした4名の方々の、私的な経験に裏づけられた言葉の数々、駒場を歩く足どりに、聞き手として随伴できたこと、それを映像作品として記録することができたのは、あらためて得難いことであったと感じている。作品に出演し、大切な記憶を語っていただいた星野氏、家栁氏、日向氏、小林氏には、改めて心より感謝を申し上げたい。

 

報告:小手川将(EAAリサーチ・アシスタント)

撮影:立石はな(EAA特任研究員)