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2021.12.28

【報告】第1回EAA研究会「東アジアと仏教」

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20211222日(水)日本時間15時より、第1EAA研究会「東アジアと仏教」を開催した。この研究会は、人と仏教の交錯から東アジアの歴史や文化、思想、芸術などを照らし出そうとする試みである。初回となる今回は本研究会の発案者となる柳幹康が、「東アジアにおける仏教の展開と日本白隠禅の成立」と題して研究発表を行なった。

 

 

インドで生まれた仏教は中国を介して東アジア一帯に伝播し、独自の展開を遂げた。うち20世紀に鈴木大拙が欧米へ発信したZENは、もとは白隠禅――江戸期の禅僧白隠慧鶴が確立した禅――を承ける。本発表では⑴仏教の展開を概観し、⑵白隠禅に対する従来の理解を紹介したうえで、⑶白隠が示すその実践体系の大枠と、⑷その背後にある白隠自身の実践体験について分析を加えた。

 

⑴仏教はインドから南方(スリランカ・東南アジア)、北方(チベット・中国・モンゴル)、東方(中国・朝鮮・日本など)へと広がり、それぞれ異なる道を歩んだ。うち東アジア一帯へと広まる東方仏教の独自の展開として、禅宗の成立・伝播が挙げられる。従来の仏教では基本的に、修行により聖者に「成る」と考えられていたのに対し、中国で興隆した禅宗において人はもとより仏(最高の聖者)で「ある」とされ、そのことに気づかせるための独自の手法「看話禅」が南宋期に確立した。これは「公案」という理解不可能な課題に参究させることで、極度の集中状態に人を追い込むもので、これにより従来の歪んだ心の働きを断ちきり、もとより仏である真の自己に目覚めることができるのだとされる。かかる「看話禅」の手法は中国から朝鮮・日本へと広まっていった。ただし中国では一つの「公案」参究により悟るというのが一般的であったのに対し、日本では複数の「公案」に参究し、突破した「公案」の数やその進度を競う風潮が現われた。

 

⑵これまで白隠の禅は往々にして、体系化された複数の「公案」に参じることがその特徴とされてきた。それを実践する宗門(臨済宗・黄檗宗)の指導者たる師家のなかには、「公案」の体系を公開した者が複数いる。数多くの「公案」の分類の仕方はまちまちであるが、「公案」を階層的に分類する点では一致している。また宗門の外にいる研究者は、おもに白隠の著作に基づき、その実践体系を論じてきたものの、その結論は一致していない。その見解が分かれる主な理由として、白隠自身の所説が一定しないことを挙げることができる。白隠は精緻な実践体系の構築にあまり関心がなかったと思しく、一冊の著作のなかでも異なる説がまま並存している。そこで今回はひとまず、その大枠を把握することに努めた。なんとなれば、本人も意を払わなかった細部に穿鑿を加えても得られるものはあまり多くなく、また、白隠の実践体系と彼自身の体験との対応関係を論じるには大枠の確認のみで十分であるからである。

 

⑶白隠が示す実践体系の大枠は、複数ある実践のうちの一つに集中することで①見性(己が仏性を見て取ること)に到り、そのうえで「悟後の修行」(悟った後の実践)に進むというものである。うち後者は、②上求菩提(複数の公案参究による悟境の練り上げ)と③下化衆生(教えを施し人々を救済すること)の両面からなり、このふたつは相補的な関係にあるとされる。すなわち、②己の悟境を練り上げることによって、③他者の救済に必要な二種の力――教えの真意を見抜く力と、それを施す相手の能力を見抜く力――が養われる一方で、③他者の救済に勤しむことで我見・我執を除き、②己が悟境を高めることができるのだという。白隠自身が強調するのは、まずは①見性したうえで、この②上求菩提と③下化衆生のサイクルを永遠に回し続けることであり、白隠がとりわけ強調するのは③他者の救済なのであった。つまり、これまで白隠禅の特徴であると強調されてきた複数の公案参究(①~②)は、その実践体系の一部に過ぎなかったのである。

 

⑷白隠自身の回想を見ると、彼が生涯で得た三度の大悟の体験が、実践体系を構成する三つの要素――①見性、②上求菩提、③下化衆生――に対応していることが分かる。すなわち、白隠は自ら禅の公案に参じて最初の大悟を得ており、それと同様に後進にも公案に先進し①見性を得るよう求めている。白隠は最初の大悟の後、師の正受により複数の公案で責め立てられ、それにより二度目の大悟を得た。のち白隠は師と同様に複数の公案により後進を指導し、更なる悟りを得るよう求めている。これは②上求菩提に相当する。そして白隠は三度目の大悟により、教えを施し他者を救済することが仏教の要諦であると徹見しており、これは白隠の実践体系のうち③下化衆生に相当する。つまり白隠は、自身が履践したように他の者にも正しい実践を踏み行うよう求めているのである。

 

 

①見性を得た後に、②上求菩提と③下化衆生のサイクルを回し続ける道を、白隠は仏教の開祖たる釈尊から脈々と受け継がれてきた実践だと理解していた。しかしながら、端的には①見性にいたる為の手段が中国で成立した「看話禅」に求められていたこと、また③下化衆生の重要性に白隠が気づくキッカケとなったのが日本で編まれた仏教書『沙石集』を目にしたことに象徴されるように、その実践体系には中国や日本の様々な要素が含まれている。それにも関わらず、自利(自身の悟りを完成させること)と利他(他者を救済すること)の完成を目指し永遠に努力しつづけるという姿勢そのものは、インドの大乗仏教、さらには彼らがモデルとした釈尊の姿に回帰するものであった。ここに時空を越え、一定の範疇に収束する仏教者の共通性を見いだすことができるかもしれない。

 

今回の研究会は平日昼間の開催であったにもかかわらず、当日は約60名もの方にご参加いただき、発表後に様々な質問が寄せられた。たとえば、「白隠にとっての悟りとは何であったのか」「法の施しにより教化された衆生はどうなるのか」「現在宗門で行なわれている公案体系をどう理解すべきか」「白隠の禅は鈴木大拙にどのような影響を与えたのか」等々である。これらの質問に対し発表者の柳によりそれぞれ返答がなされ、活発な意見交換が行なわれた。その結果、当初予定していた時間よりも30分も超過してしまったが、多くの方々に最後までご視聴いただいた。そのことに感謝申し上げるとともに、発表者の不手際により予定していた時間内に終了できなかったことを深くお詫び申し上げあげる。

 

なお本研究会は目下、毎月ないし隔月に一度の割合で今後も継続していく予定である。今後とも多くの方にご参加いただければ幸いである。

 

 

報告者:柳幹康(東洋文化研究所)