先日10月19日に開催された第27回石牟礼道子を読む会では、アトリエシムラの志村昌司氏をお迎えして石牟礼道子原作の新作能「沖宮」についてご講演をいただいた。そのご縁から、また何よりそこで伺った草木染めの世界に心惹かれ、「読む会」メンバーの数人は11月29日(月)の午前から午後にかけて、アトリエシムラの「染めと織りのワークショップ」を体験させていただく機会をいただいた。参加者は宇野瑞木氏(EAA特任助教)、佐藤麻貴氏(EAA特任准教授)、髙山花子氏(EAA特任助教)、建部良平氏(東京大学大学院博士課程)、山田悠介氏(大東文化大学講師)、そして報告者の宮田晃碩(EAAリサーチ・アシスタント)の6名である。いわば「読む会」の寄り道編として、ワークショップの模様を簡単にお伝えしたい。
アトリエシムラは京都本店のほか、都内に「Shop & Gallery 東京・成城」がある。当日は成城駅の西口を出ると、正面に冠雪した富士山が遠望された。閑静な住宅街のなかに、大きなバルコニーのある二階建ての家があり、階上に上がると数台の手織機がやわらかい日に照らされていた。佐々木みちる氏と二階堂いくえ氏に、様々な知識も織り交ぜつつ、午前中に紅花を使った草木染め、午後に機織りを教えていただく。
紅花は「沖宮」において、雨乞いのために捧げられる少女あやの衣装に用いられたものである。あどけなくも鮮やかに透きとおった色を出す紅花は、草木染めにおいても特別なものであるという。まず花弁を使うものがほかにない。また熱に弱いため火にかけない。そして色を定着させるために鉱物を用いない。多くの染めでは石灰やミョウバンなどを用いて色を留めるのだが、紅花と臭木(くさぎ)の実は例外的に鉱物を使わないのだという。臭木の実とは、志村ふくみ氏が「天青」と呼ぶやはり透きとおった純朴な青色を出すもので、「沖宮」では天草四郎の衣裳に使われている。お話によると「沖宮」の制作にあたって志村ふくみ氏が石牟礼道子氏のもとを訪ね、「夢の浮橋」と名付けられた色糸の小箱を見せると石牟礼氏は迷わず紅花の緋色と臭木の実の水縹色とを選び、志村氏は運命的なものを感じられたのだという。いずれも植物の色を純粋に染めたものと言えようか。今回はそれをご用意いただいていた。
紅花で染めるには「紅餅」に加工したものを使う方法もあるが、今回は花弁をそのまま乾燥させたものを用いる。実は紅花に含まれる色素の99%が黄色、1%が赤色らしく、黄色の色素は絞り出して除かねばならない。多量の花弁を袋に詰めて水に浸しよく揉んで絞ると、水溶性の黄色色素が溶け出し赤色色素が花弁に残る。それをアルカリ性の水溶液に浸しておくと赤色が出る。ここまで前日に準備してくださっていた。花弁をさらに絞ると薄めのべっこう飴のような色の水となり、これに酸性を加えると色が濃くなりゼリーの溶液のように見えてくる。終始美味しそうな見た目で、そういえば染料はたいてい漢方の原料でもあるとか、草木染めは台所でもできるといったお話を思い出す。その溶液に絹糸をくぐらせると、鮮やかに桃色に染まった糸が出てくる。
このような作り方をするものだから、紅花の染め物は貴重である。かつては米の百倍、金の十倍とも言われたという。また伝統的には酸性・アルカリ性の調整にも、藁を焼いた灰から取る灰汁、梅を加工して作られる烏梅を用いた。炭酸ナトリウムとクエン酸が今回はその役を務めたわけだが、製法自体が歴史の重畳を感じさせる。烏梅は今日では、一軒で製造されるばかりだそうである。
糸を色水にくぐらせ、しばらく泳がせてから引き揚げて絞り、バルコニーに出て風を通す。これを三回ほど繰り返す。すると次第に糸の色が濃くなってゆく。ボウルの水の方は、薄くなって割合黄味を増している。赤色が吸い上げられているのが分かる。生糸ではなく紬糸を染めるので、染まり方に微妙にむらがあり、それが風合いになっている。蚕の吐き出して作った繭からそのまま一本の糸を引き出してきたものが生糸であるのに対して、紬糸とは、穴が開いてしまったり二つくっついて作ってしまったりした繭をほぐして真綿にしたのち、そこから紡ぎ出して一本の糸としたものである。
外で風に通すとき、また水にくぐらせるときに糸は光って見え、なるほど地水火風の賜物だという説明が腑に落ちる。出来上がるのはごく単純な、何の誤魔化しもありえない色である。「哲学的」に言うならば、色というイデア的なものを、私たちはこの個物に例化された仕方で見るのだ、と言えるだろうか。しかしこの色がここにあるということは、植物の生育や養蚕、染色の作業、いまここに広げてみること、こうしたすべての場面に土壌や水、日の光と熱、空気が寄与することで成り立っている。ハイデガーが「物」の物らしさを思考しようとして、その本義が「結集」という点にあるなどと言ったのも、こうしたことだっただろうかなどと考える。この色がここにこうしてあるということは、種々の風物が何気なくここに宿っているということである。それにもかかわらず色はごく単純に、何の偽りようもなくありありと見えている。その不思議を思っていた。われわれ6人と並行して、二階堂氏の手元では山吹色の糸が染められている。紅花を絞って出た「黄水」で染めたものである。これも余りの水と呼ぶには惜しいほど、くっきりとした色を放っている。
午後は機織りを体験させていただいた。織機には縦糸がすでにセットしてあり、前のワークショップで織られた続きを織っていく形になる。誰も手織機を使うのは初めてだが、しばらく手足を動かすうちに慣れてきて、ただ側面から杼(ひ)を通す音、踏木を踏んで綜絖(そうこう)を上げ下げする音、筬(おさ)を打ち付ける音が響く時間になる。
これは各人の個性が大きく出る作業になった。織機の基本的な使い方を教わったあとは、各々が緯糸を選び好きなように織らせていただいたからである。まずその選ぶ色にも人柄が表れる。そもそも糸の色が、例えば一口に青といってもそれぞれ微妙に異なっている。作りたいものを念頭に置くというより、糸を見ながらピンとくるものを選ぶので、なにか自分の心に色を映し込んでその映えを確かめるような手つきになる。これをまた実際に緯糸として織ってみると、白い経糸との組み合わせや緯糸そのものの紬糸ゆえの太さ細さによって、見栄えは変わってくる。そこでやはり自分の心に問い尋ねながら次の緯糸を選ぶ。そうして絵画的な広がりを織りあげる人もいれば、むしろリズミカルな面を作る人もいるのだった。
午前中に紅花で染めた、紅色というよりむしろ桃色の糸も使うことができた。そのためには糸車を用いて、糸を細い竹筒に巻き取る必要がある。その工程も体験させていただいた。石牟礼道子『椿の海の記』の終わりの詩にも「とんとんからり とんとんからり」「とんとんからから からから から」と糸をつむぐ音がうたい込まれているが、それはこのような音だっただろうかと実感される。糸車の構造は本当に単純で、回せばそのまま簡単な音がするのである。
染めと織りを午前から午後にかけて体験させていただいたのだが、そのいずれも文字通り限りのない営みであることが偲ばれる。今回は紅花だったが、植物ごとに染めの工程が異なるうえ、同じ種類であったとしても使うものの質によって、また作業の手つきによって色合いは変わってくるだろう。そうして染められた糸がさらに、無限のバリエーションで織りあげられる。だがおそらく同時に重要なのは、そうして織られたものがそれだけで事々しく作品になるというより、日常の用に供せられるものだということだろう。それは日々を彩るものとして、限りない奥行きを持っている。そうして考えてみると、日々の彩りに限りがないということこそが、思い起こされるべきなのかもしれない。草木染めは果てしない深みをもった世界だが、それはまさしく日常の多彩さに即応すべきものとしてそうなのであって、草木染めの世界に馴染めば馴染むほど、私たちは日常の肌理を味わえるようになるのではないか――そのような予感を抱いたのだった。あらためて、素晴らしい機会をくださったアトリエシムラの皆さまに、この場を借りて御礼申し上げたい。
報告者:宮田晃碩(EAAリサーチ・アシスタント)