2021年10月16日(土)日本時間14時より、第5回東アジア仏典講読会を開催した。この読書会は、禅を中心に仏教の研究を行っている日本・中国・韓国・フランスなど各国の研究者が集い、文献の会読や研究発表・討論を行うものである。今回は(1)「晩参」に関する資料の会読、(2)道元の著作に関する議論、(3)永明延寿の「官銭放生」に関する資料の会読が行なわれた。
(1)「晩参」に関する資料の会読は、土屋太祐氏(新潟大学)により行なわれた。
「晩参」とは晩間に参禅することを指し、その起源について南宋の嘉泰4年(1204)に編纂された『嘉泰普灯録』には概ね以下のように記されている。すなわち、慈明楚円(986-1039)が寺を抜け出てその妻「慈明婆」のもとを訪れようとすると、弟子の楊岐方会(992-1049)はどんなに遅くても説法の合図である太鼓を鳴らして修行僧を集め、それを阻んだ。それに怒った慈明楚円が「この若僧め、暮れに説法を行なうなど、そんな規則がどこにあるか」と言うと、楊岐方会は「これは(あなたの師である)汾陽善昭(946-1024)が行なっていた「晩参」です。どうして規則でないなどと仰るのですか」と言ってやり込めた。これが禅林で、「三八念誦」(三と八がつく日に行なわれる儀礼)後にも参禅するようになった由来なのだという。この話は古くは北宋の1124年に編まれた『禅林僧宝伝』に見え、遅くともこの時点で「三八念誦」後の「晩参」が定着していたこと、それが当時、慈明楚円と楊岐方会の故事に由来すると理解されていたことが分かる。
しかしながら、『禅林僧宝伝』は慈明楚円が没して80年以上後に編まれた書籍であり、北宋期における「晩参」の実態については検討の余地がある。そこで現存するなかで最古の完備した清規(禅林の規則)となる『禅苑清規』(1103年)と、ほぼ同時期に成立した禅の事典『祖庭事苑』(1108年)、および元代の『勅修百丈清規』(1338)の記述をもとに、「晩参」に対する分析が為された。これにより、北宋の中頃は未だ「晩参」が確立しておらず、それぞれ五日ごとに行なわれる「公界上堂」と「三八念誦」が定期の行事となっており、それに加え不定期に為される夜の説法が「小参」と呼ばれていたらしいこと、元来は不定期になされていた「三八念誦」後の「小参」が宋代末には定例化され、「晩参」と称されるようになっていたらしいこと、さらに元代になると「小参」と「晩参」を分けていることなどが指摘された。その後、訓読や読解に関する問題、および今日の禅林で行なわれている「晩参」等の行事との異同などが議論された。
(2)道元の著作に関する議論は、何燕生氏(郡山女子大学)を中心に為された。
何氏は道元の著作『正法眼蔵』の中国語訳を2003年に出版しており、その時の経験、また何氏および本講読会のメンバーが複数名参加した東洋大学のシンポジウム「三者鼎談:『正法眼蔵』の表現・翻訳・思想をめぐって」(2021年9月18日開催)を踏まえ、『正法眼蔵』の研究状況や各国語に訳されている翻訳の問題、『正法眼蔵』の中国語訳の反響、『正法眼蔵』の重層性などをめぐり議論がなされた。とくに『正法眼蔵』の重層性については、道元が和文で『正法眼蔵』を著すにあたって、その念頭に漢文の原文があった場合、原文ではなく訓読文があった場合、漢文ではなく最初から和文で考えていた場合があり、それにより文体が異なっていることが指摘された。それに加え、道元が訓読文や和文をもとに語った和文には、そのままでは漢文に復元しにくい場所が多々あり、そこに和文による道元独自の思索が読み取りうることも議論のなかで言及された。
(3)最後に柳幹康(東京大学)により、永明延寿の「官銭放生」に関する資料の会読が行なわれた。
「官銭放生」は、出家前の延寿が官銭(公金)を流用して放生(捉えられた生き物を買って解き放ち、命を救う善行)を行なったという故事である。これは中国仏教圏では非常に有名な話であり、今日でもマンガやアニメなどで取り上げられ、人口に膾炙している。しかしながら、延寿を直接知る二人の人物がそれぞれ編んだ二種の伝記にはこの話は見えず、延寿が没して百年以上を経た後に文献に初めて現われ、明代になると浄土思想に関する脚色が加えられ、さらに明末清初に編まれた演劇の脚本『帰元鏡』になると大幅に増広された。各時代の資料の会読により、その流れを追うとともに、明代に浄土的な脚色が加わった背景には、時の高僧の雲棲袾宏が放生を重視するとともに延寿を尊んだこと、および放生を含む各種善行の実践が王朝により励行されていたことがあると指摘した。なお『帰元鏡』については時間の制約上、会読を次回に行なう予定である。
今回の講読会では、宋から元代にいたる「晩参」の変化、道元の『正法眼蔵』の翻訳や言葉をめぐる問題、延寿の説話が各時代の思潮を反映する形で増広されていく過程など話が多岐に及び、議論も活発になされた。また特定の議題を共有しつつ、多数の研究者が禅宗史・仏教学・文学などそれぞれの専門領域から発言し議論することで、相互に理解を深めることができ、実りの多い研究会になったものと考える。
報告者:柳幹康(東洋文化研究所)
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