このたび、ダイキン工業株式会社より6名の社員が駒場キャンパスを訪れ、オフィス空間の新たなアイディアを求めて、KALS(駒場アクティブラーニングスタジオ)と21KOMCEEを視察しました(2021年9月29日)。以下では視察に同行した感想を述べます。
どちらの施設も、アクティヴ・ラーニングを大学の教室に取りいれることを主な目的として設計されたものです。しかし、両者の訪問を通じて最も強く印象に残ったのは、授業方法に関わる技術論やそのために導入されたテクノロジーではなく(もちろんそれらの中にも興味深いものがいくつもありましたが)、その背後にある思想でした。つまり、人の自由な集散を促し、空間全体の中で随時随所に人と人が場と身ぶりを多様な形で共有できるよう工夫を凝らすという思想です。そのような空間においては、一人ひとりが、与えられ固定された居場所の束縛から逃れることが可能となるだけではありません。なにがしかの具体的な課題に取り組むという共通の目的の下に統御される授業教室と、その目的から離れてただ人がそこにいるためだけに設けられた谷あいの里のような空間とが緩やかに隔たりながら相互浸透するよう仕組まれています。新しい学問のあり方としてアクティヴ・ラーニングは定評があり、特にオンライン授業を強いられるようになってからはわたしも意識的にその手法を取りいれています。その一方で、グループワークや多方向的な討論に参加することを強迫されかねないことに危機感を覚える教員や学生がいるのも事実です。しかし、単にたまり場としても使えるような廊下や待機室の設計や配置に込められているのは、アクティヴであれという要請とはむしろ逆のベクトルに対する配慮であるとわたしは感じました。技術論に偏ってしまうと、往々にして一直線に生産性の向上だけを追求するようになりますが、それは必ずしも善ではなく、かえってより人を息苦しくさせかねません。人の人たる所以は、生産性や効率を敢えて追求しない自由の中にこそ悦びを感じることだからです。ですから逆説的ですが、この両施設(とくに後発の21KOMCEE)において、それらがコンセプトにするアクティヴ・ラーニングがうまく機能しているとするならば、実は、そうした前屈みの窮屈さに陥らないよう、空間自体に意匠が凝らされているからではないかと思います。つまり、「遊び」の空間がもつ「ため」が準備されていることこそが、この建物を教育の場たらしめている肝であるのだとわたしは理解しました。
ダイキンの方々にお伴することで、このような場所を見学できたのはとりわけ有意義なことだったと思います。エアコンメーカーとして「空気をつくる」ことに取り組んでいる皆さんが、人の自由な流れを可能にする空間をデザインしようとなさっていることには、ものづくりの仕事が人ならではの自由な想像力に支えられていることへの深い経験的洞察があるように感じられるからです。阿部謹也は、中世の神学者として知られるサン=ヴィクトルのフーゴーが哲学を修めた後に陶工としての技術を学ぶべきだと主張したことを挙げて、そこにあるべき教養の姿を見出しました(阿部謹也『「教養」とは何か』)。本来、リベラル・アーツとは豊かな哲学的教養と「もの」に働きかける身体的な作業の総合であるべきなのです。ですから、ものづくりの企業が大学と協働することの意義は、それを通じてより豊かな人の生き方を実践的に示すことにこそあります。新しい製品開発や技術開発の可能性を広げる手段としての産学連携を超えた人間的・社会的意義がそこにはあり、ダイキンとの関係においては、それをこそ目指すべきであるとわたしは信じます。そういう意味で、人が共に生きて成長するための理想の空間がどうあるべきかについて、具体的な事例を共有しながら皆さんと共に感じつつ考えることができたというのは、短時間の小さな取り組みであるとは言え貴重なことでした。
ダイキンの視察訪問者の中には、はるばる大阪から来てくださった方々も多く、実りある交流となりました。この場をお借りしてご来訪の皆さまに感謝の意を表したく存じます。
報告者:石井剛(総合文化研究科/EAA副院長)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)