2021年9月15日(水)にEAAセミナー「デジタル資本主義と価値革命」が開催された。今年度EAAで取り組んでいる「価値と価値化」の議論を深めるために、今回はアカデミアの外で活躍されている野村総合研究所未来創発センター上席研究員の森健氏をお招きした。「デジタル資本主義と価値革命」を題としたご講演を通して、大学と産業界とのつながりを考える時間を持った。
最初に石井剛氏(EAA副院長)により趣旨説明が行われた。コロナ禍で社会のデジタル化が急速に進む中、かつての「産業資本主義」とは異なるメカニズムで働いている「デジタル資本主義」とも呼べるシステムが実現しようとしており、価値をめぐる概念や認識も変化している。EAAでは教育と研究に加え、産学協同を重要な一つの柱とした活動に取り組んでおり、産学を結びつけながら、学問を作っていくことを目指している。石井氏は産業界で何が起こっているのか、具体的に学び、新しい言葉を学ぶ機会を増やしていきたいと述べた。この度は、石井氏が先日野村総合研究所で講演したことをきっかけに、今回は2018年に共著で『デジタル資本主義』を出版され、この分野で活躍されている森氏を講師としてお招きすることができた。
趣旨説明と紹介を受けて、森氏は講演を始めた。まず「デジタル資本主義」について「デジタルデータと人 間の創造力・活動力が、労働力や機械設備 にかわって最も重要な経営資源になる世界」であると定義した上で、森氏はコロナ禍が加速させた社会のデジタル化の現象を紹介した。緊急事態宣言の発令などで様々なオンラインサービス利用が急拡大し、日本のテレワーク対象者も最大就業者の40%弱まで拡大したことが確認できたという。これは、デジタル化がもたらす「時間」と「空間」の解放という経験とパラダイムのシフトが行われたからであろう。周知のように、テレワークの拡大を受け、通勤時間がなくなった分、個人の「可処分時間」が大幅に増加し、一方で空間の制約もオンライン化(ZOOM会議など)で劇的に削減された。森氏によると、こうしたパラダイムシフトは新たな需要を生み出している。米国ではオンラインビジネスが急増しており、D2Cを促すオンライン事業とそれを支えるプラットフォーム(例えば、Shopify)の台頭がそれを裏付けている。
森氏は、そこに働いているメカニズムをデジタル化による「消費者余剰」の拡大であると説明する。森氏が注目しているのは、2000年代後半からGDPは低迷するも日本人の主観的な生活レベル(生活満足度)は上昇している点である。それは、デジタルによる産業破壊で、例えば、オンライン販売において「価格」の下落により、消費者が最大支払ってもよいと考える価格と実際の取引価格の差分という「消費者余剰」が拡大し、生活満足度を上昇させているとのことである。(言うまでもなく、その裏側では「生産者余剰」が圧迫されている。)例えば、音楽業界を見ると、Spotifyのストリーミングサービスにより、消費者は高いCDの購入なしに月1000円で無数の曲を聞くことができる。デジタル化が生み出したこうした消費者余剰は野村総研の共同研究によると、日本のGDP比で3割近くあるという。それを受け、市場や企業はaaS(アズ・ア・サービス)で対応を進めている。
以上の議論に基づいて、最後に森氏は、デジタル時代における「価値革命」を考察した。森氏は産業資本主義では減価償却社会であったことに対し、デジタル資本主義はAIの学習やソフトのアップデートのように増価蓄積社会を築いていくのではないかと論じた。つまり、デジタル資本主義の下では、時間とともに価値が減価するのではなく増価していく。そのため、「時間」と「こだわり」をめぐる「価値」がより見出されるのではないかと指摘した。
森氏の議論を受けて、参加者からは次のような問いかけがなされた。デジタル化が生み出す価値は娯楽や芸術のような人間の感性に訴える側面が強い。消費者余剰が増えていく裏側で生産者余剰が限りなく0に近づいていくのは問題ではないか。消費者余剰の拡大で余っているお金が新たな投資につながらない問題、貧困状態でありながらも生活満足度が増加するという逆説的な問題があるのではないか。個人情報を誰に、どの程度、預けられるのか。コロナ禍でまさしく私たちが直面している問題であるからこそ、予定の時間を超過して議論は続き、多くを考えさせられた内容であった。
報告:具裕珍(EAA特任助教)