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2021.09.21

【報告】藤木文書アーカイブ・東大文書館訪問:森本祥子氏の手引きのもとに

 さる913日(月)、藤木文書アーカイヴメンバーのうち、宇野瑞木氏(EAA特任助教)、高原智史氏(EAAリサーチ・アシスタント)、横山雄大氏(EAAリサーチ・アシスタント)、そして報告者・日隈は、本郷キャンパスに所在する東京大学文書館を訪れた。EAAの本郷オフィスが入居する東洋文化研究所からほど近い、医学部1号館内に文書館はある。

 東大文書館は、『東京大学百年史』(1987年)編纂に係る膨大な史料を保存・活用することを目的に設置された東京大学史料室を前身として2014年に創設され、東大における重要な意思決定等に係る資料の評価・選別、収集・保存等に携わる部局である。

収蔵する史資料は、東大職員が作成した事務書類を元とする特定歴史公文書等、歴代総長や教員の寄贈等を受けた歴史資料等のほか、ニューズレター等の学内刊行物および図書類4種類に大別される。特定歴史公文書等には、例えば旧文部省とのやり取りに係る資料など、重要文化財指定を受けたものも存在する。

今回、我々は森本祥子氏(東大文書館准教授)の手引きを受けながら文書館における資料の整理・保存の実際を見学した。しばしば耳にすることだが、和紙と墨書の組み合わせは資料の保存状態が一般に良好であって、明治初年の資料については現状の維持には大して気を回さずともよいというが、時代を経るにつれその比重を増す洋紙はそのかぎりではない。特に、日本が全面的にアジア太平洋戦争に突入してゆく1940年代の文書は、洋紙の中でも化学パルプ使用比率の低い下級紙が多く、酸性劣化が著しい。藤木文書の多くも例に漏れずこの下級紙であり、その保存には細心の注意を要する。具体的には、個々の文書の形状・大きさに鑑みて適当なサイズの中性紙製の箱・フォルダを用意することが、基本的な保存方針となる。むろんほかにも、博物館等と同様、温湿度の管理や害虫・害獣対策への配慮が求められる。

 


各文書のサイズに合わせてカットされた中性紙のフォルダ。藤木文書でもこの方式を採用している。

 

収蔵されている資料はどれも目を引くものばかりではあったが、他の資料館等との役割分担も興味を誘う話題だった。例えば戦後に東大総長を務めた矢内原忠雄関連の文書群は、学者あるいは大学教員としての矢内原に係る文書を東大文書館で主として収集し、彼が関心を注いだキリスト教に関係する資料は今井館(東京都目黒区)が保存することになった分もあるという。文書館は資料を何でも集めればよいというのではなく、当該組織(東大文書館であれば東大)の歴史的構成を跡づけるための資料収集をその使命とする、という原則をこの事例からも確認できるだろう。

 


東大総長を務めた人物のうち、内田祥三関係史料の収蔵架の前で文書を取り出す森本祥子氏。手前は説明を受ける「藤木文書アーカイヴ」メンバー。


内田祥三の直筆のメモ等含むファイル。内田は非常に几帳面な性格で、詳細な議事録などが直筆で残っているという。

 

なお、資料庫を巡回中、思いがけず昭和10年代後半の留学生関連の文書群が見つかり、その中には藤木文書にも見える、一高特設高等科出身の留学生の名が記されていた。本プロジェクトでは、年度末に藤木文書を活用した展示を予定しており、「アーカイヴ」を他の文書群と突き合わせることで「アーカイヴズ」としての拡がり・厚みのあるものとして提示することが一つの避け得ない課題となっているが、かかる課題を解きほぐすための糸口の一端を、思わぬ形で発見できた。今回の訪問は、文書の具体的なあり方や今後のプロジェクトの見通しについて具体的なイメージを獲得する好機となった。森本氏をはじめ、東大文書館のスタッフ諸氏にはこの場を借りて、日頃の業務への敬意および今回の貴重な経験についての謝意を表したい。

 

報告者:日隈脩一郎(EAAリサーチ・アシスタント)