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2021.08.06

【報告】第3回EAA沖縄研究会

2021年7月30日、第3回となるEAA沖縄研究会が開催された。前野清太朗氏(EAA特任助教)が「私史に読む「裏日本」のファミリー・グローカル・ヒストリー」と題して発表を行った。前野氏の専門は現代台湾農村研究であるが、今回は、「周辺」あるいは「辺境」として位置付けられる「沖縄」との関連から、ご自身の故郷である石川県南部を出発点として、「裏日本」と呼ばれた北陸地域を「半周辺」と捉える観点からご発表頂いた。

タイトルにあるように、前野氏は自身のファミリー・ヒストリーとして、父方の曽々祖父である前野維三氏の遺した手記を手がかりに、維三氏やその兄弟たち、ひいては母方の親族たちがどのようなローカル/グローバルな移動・活動を行なってきたのかを繙いていった。

 

 

 

維三氏は1866年、石川県江沼郡に生まれた。先述の手記は、維三氏の経歴や家系図、明治維新後の集落の変化や民俗に関する記録など、幅広い内容を網羅している。本研究会では過去2回、『眉屋私記』(上野英信著)や『越えていく人』(神里雄大著)といった、文学と歴史の間を自由に横断する作品を扱ってきた。今回前野氏が取り上げた維三氏の手記も、こうした作品に連なるものとして読むことができる。史料を読み解き実証的な分析を重視する歴史学的態度と、そこからはこぼれ落ちる「語り」という領域の双方に目配せをしながら前野氏が描き出したのは、次のような歴史−物語(ヒストリー)である。

奈良県庁の技師となった維三氏には、四名の弟がいた。次男は北海道・帯広で海運業に従事、三男は故郷で撚糸工業を開業、四男は東京の官界、五男は台湾で警察官、といったように、家族の足跡を辿るとそこには帝国日本の近代史が浮かび上がる。古厩忠夫『裏日本——近代日本を問いなおす』(岩波新書、1997年)によれば、江戸期から北前航路の中継港として栄えた石川県江沼郡は、明治期に入ると、そのルートに乗るようにして人々も北海道や京阪神へと移動していった。京阪神へ移動していった者は、工場労働者のほか風呂屋・豆腐屋・魚河岸といった職業に従事した。このように労働者を供出しただけでなく、同地域は工業原料の供給地として京阪神の産業を支える働きをした。『眉屋私記』には、沖縄から同地区へと奔出していった労働者の姿が描かれていたが、彼らは非熟練労働に従事する最下層労働者として市場へ包摂されていった。これと比べると、前野氏が指摘したように、「裏日本」地域は「周辺」と「中心」の間に位置する「半周辺」として位置付けることができる。また、資本主義に包摂されながらも同時に遺棄されるという沖縄の「辺境」的性格とは異なる特徴が同地域には見出される。

 


書影は岩波書店ウェブサイト(https://www.iwanami.co.jp/book/b268341.html)より

 

前野氏は維三氏の手記以外にも、母方の系譜を辿り、満州あるいは台湾といった「外地」と「裏日本」とのつながりについても言及した。興味深いのは、石川県南部の料理の話である。前野氏は、他地域と比べると砂糖を使用した甘い味付けが際立つのは、もしかすると、台湾から安価で輸入された砂糖が同地域に移入されたためではないか、という仮説を述べた。ちなみに、台湾総督府の技手として同地でのインフラストラクチャー建設に従事した八田與一(1886−1942)は石川県出身である。

発表の最後に、前野氏は、一体なぜ維三氏がこのような手記を遺したのか、という問いを立て、次のように述べた。維三氏は次のように書き記している——「老人の一生どんな生活志多かと御一覧下さる御人は翁の追善供養とな里ます」。「イエ」の継続(必ずしも「血」の繋がりが必要なのではなく、あくまでも重視されたのは「家」の継続であった)が現在よりもより強く重要視されていた時代において、維三氏は、自身の娘婿が先に逝去し「若先祖」となるという経験をした。また、孫娘夫婦にも子供がいなかった。柳田國男『先祖の話』にもあるように、家とは、子孫が先祖を供養し、先祖が子孫を見守る神となる、という関係が営まれる場であった。維三氏は故郷で絶家となった家が何戸あるかについても細かく記録している。このことから前野氏は、この手記は必ずしも子孫に宛てて書かれたものではなく、絶家の恐怖と隣り合わせのところで維三氏が執筆したものであったのだろう、と推測した。

ところで『先祖の話』は、先の大戦で若くして戦死した人々を、血縁や既存の家に関係なく新たに「先祖」として祀ることによって、かれらの魂を弔うことを論じた書物である。維三氏の手記は結果として、子孫である前野氏のもとへと届けられたが、そうではなく、全く血の繋がりも家の繋がりも持たない者がこれを読んだ可能性もあったのだ。手記から浮かび上がる近代史の姿もさることながら、書くということの歴史−物語性、言い換えれば「歴史する」ということの意味もまた深く問われた発表であった。

 

報告者:崎濱紗奈(EAA特任研究員)