去る7月15日(木)、101号館映像制作プロジェクトチームの一行で東京は京橋の国立映画アーカイブを訪れ、戦前の一高学生を映した以下の3本のフィルムを鑑賞した。
① 『Japan Pictorial No.4 SPORTING JAPAN』(朝日新聞社、1935年、35mm、19分)
② 『皇太子繼宮明仁親王殿下 御降誕奉賀式』(松竹キネマ、1934年、35mm、8分)
③ 『一高生活』[部分](松竹キネマ、1930年、35mm、30分)
①は、日本でのスポーツ人気を紹介する報道映像であり、一高生の花形スポーツだったボートの(おそらく練習)風景のようすが活写されていた。一高校舎が本郷から駒場へ移転した1935年後も、ボートの練習場所は変わらず尾久(現・東京都荒川区)だったというが、荒川でオールを振る一高生の表情からは、勉強から一時的に解放された人間のある種の普遍性が看取された。
現上皇生誕時の一高生による宮城参拝のようすを映した②は、一高の校旗であったところの「護国旗」の名にも見えるように、一高生と当時の天皇制国家との特殊な関係の一旦を描き出している。特別に松竹に依頼して製作されたということもあり、画面はよく構成されているように見受けられた。役者が役者であるから、例えば万歳三唱時の締まりの悪さといった裂け目が走ってはいるにせよ、それは作品というテクストの偶有性として肯定されるだろう。
③は、「生活」といっても行軍の様子が比較的長尺を占める映像で、エリート学生が学校行事の一貫として銃剣を担ぎ発砲してみせる場面には、ややいたたまれないものを感ないではなかった。
いずれも記録映像ではあったが、世界をカメラで捉えるにあたって留意すべきことのいくつかを教示してくれたのではないかと思う。例えば、③の「いたたまれなさ」について、カメラを向けられた学生がそれを自覚してしまうことに伴う演劇的振る舞いに起因するのではないかといった話を、鑑賞後にメンバー間で交わしたが、本編とは別に、ミーティングや撮影時の風景を記録したメイキング映像の制作も進めている本プロジェクトにとり、カメラがまなざしとして世界のうちに埋め込まれているという状態に対して、カメラマンは何らかの態度決定を迫られるのだということを改めて確認する契機となった。まなざしを無化させるべきか、あるいは反対にまなざしの存在をまざまざと被写体たる人物に意識させるか。それは役者相手ではない記録映像なればこそ意を注ぐべきことであるのかもしれないが、カメラと世界との関係一般についても、構成された画面に対する視点が、その画面に映し出されたものといかなる位置関係にあっていかなる意味を持ってしまうか、といった基本的な(根源的な?)ことがらへの問いを喚起する。映画論の初歩的な教科書さえ読めば事足りるのかもしれないが、我々はまなざしそのものによって、実はそういった問いに誘い込まれているような気がしてならないのだ。
報告:日隈脩一郎(EAAリサーチ・アシスタント)