梅雨も明け、暑さが本格化しようとする中、EAA101号館映像制作プロジェクトチームは、製作に向けて、議論を盛んにしています。
報告者は、自身の研究としても一高を対象としており、修士論文では明治期の一高の言論について書いています。映像制作では、昭和期の一高が舞台となりますが、新旧両時期を並べて見ると、そこにはある関係が見て取れます。
それは、伝統の引き受けとでもいうべき現象です。昭和の一高生は、自らが寮生活を送るのに際して、明治23年に開かれた自治寮の開寮の精神(その具体化としての「四綱領」)というようなものを強く引き継ごうとしていました。他方、明治の一高生にも、それより前の維新の志士の精神を引き継ごうという意識が見られます。
一高生は、校内雑誌『校友会雑誌』への投稿でも、自らを国家の継続者などと位置付け、引き継ぐ者としての自己認識が強いです。ある種、ロマンティックでもある、このようなあり方は果して、真正なものといえるでしょうか。思い返せば、明治期の官僚の姿を本で読んで、自分もそうなりたいと思って東大を目指した自分は、明治に始まる「一高なるもの」に誘われてここまで来たのかもしれません。しかしそれは、所詮、一高そのものでもない「一高の亡霊」に過ぎないものに縛られているだけかもしれず、自分自身に発するものではないのかもしれない。学歴エリートが往々にしてそうなりやすい、自分ではないものを引き受けてしまうことからいかに自由になれるか、そのためのリベラルアーツとは。自分自身の研究テーマでもあるこのことを、映像プロジェクトに関わることを通じて考えていければと思います。
明治、昭和の一高生、そして令和の東大院生に連関があるかもしれないというのと並んで、EAA内のプロジェクトの連なり、さらにはその外への拡がりも感じられています。藤木文書プロジェクトがEAA一高プロジェクトにはあり、映像プロジェクトのRAは藤木文書のRAを兼ねていますが、1930~40年代という時期の一高を扱おうとしている両プロジェクトが関係を強めています。「月刊ニューズレター 現代の大学問題を視野に入れた教育史研究を求めて」の76号には報告者名で本年3月17日開催の国際シンポジウム「一高中国人留学生と 101 号館の歴史」について紹介がなされ、その末尾に映像プロジェクトのことが告知されています。また、同ニューズレターを発行されている冨岡勝氏(近畿大学教授)らを中心に運営される、長野県松本市の旧制高等学校記念館開催の第25回夏期教育セミナーに、オンライン発表として藤木文書チームが共同研究発表のビデオを寄せることになっています。
こうしたアイデアと関係性の拡がりが、シナリオに落とし込まれ、撮影へと実を結んでいけるよう、頑張っていきたいと思います。ご期待ください。
報告:高原智史(EAAリサーチ・アシスタント)