7月16日(金)日本時間 15 時より、第7回日中韓オンライン朱子学読書会が開催された。これまで同様、EAA のほか、清華大学哲学系、北京大学礼学研究中心との共催である。
今回は趙金剛氏(清華大学)が司会を務め、江求流氏(陝西師範大学)が「朱子哲学の問題意識とその展開」と題し、2020年に出版した『朱子哲学的结构与义理』(中国社会科学出版社)について報告を行った。江氏が2015年に華東師範大学哲学系にて学位取得した博士論文が本書の母体である。
朱熹の哲学について、その概念や範疇について論じた先行研究は多い。しかし朱熹自身はこのような概念を用い、一体何を解決しようとしていたのか。彼が直面していた、どうしても解かざるをえない問題とは何だったのか。本書は、朱熹の問題意識に基づき、その著作に内在するロジックを一つ一つ体系的に読み解く。第一章では、朱熹が当時の仏教からの挑戦にどう応答したかを論じる。仏教の「以心為法」は、「万物がどのように存在しているか」という問いに読み替えることができ、朱熹は、万物はすべて気であるという存在論を提示した。また、「以空為真」は、人性の実在をめぐる問いであり、朱熹は、性は理であり五行の気には仁・義・礼・智・信の理が内在的に存在すると論じることで、人性もまた実在すると考えた。また「天は人格を有するか」という問いに対しては、天(地)の実質は気であるとし、先秦以来論じられてきた人格神的色彩を有した天とは決別することとなった。第二章では、そもそも「なぜ朱熹が人性の実在について論じる必要があったのか」を考えると、「人性はどのようにして善であるのか」という彼の中心的な問題意識に行き着くことになると述べる。「仁・義・礼・智」を具体的内容とする人性は、主体に内在する感通能力によって、主体が日常生活の中で自然に「親親、仁民、愛物」を実行する、すなわち善を行うのである。第三章では、このような人性がなぜ秩序を失ってしまうのか、その原因について、「気稟」(人性を抑制する先天的要素)と「人欲」(人性を抑制する後天的要素)という二つの点から説明を行った。第四章ではこれらを克服し、本来の性にもどるための工夫について、「涵養」と「察識」を挙げ、その内容について詳細に検討した。第五章ではこの二つが両方とも、「尊徳性」と密接不可分であることを指摘した上で、朱熹の工夫論のうち、「道問学」として語られがちな「格物致知」についても、読書によって聖人の道を学び、「尊徳性」の工夫をうまく導くための役割を有していたこと、そして実践活動を行う際、盲目的にならないために重要な意味を持っていたことを指摘する。第六章はこれまでの内容を受け、朱熹が歴史上の帝王について、先天的な神聖さよりも、後天的な工夫を行えたかどうかを評価の軸にしたことを指摘する。
最大で150名程度の参加者があった今回の読書会では、「八条目の筆頭である「格物致知」は、盲目性の克服にはなるが、速やかな実践の妨げにもなる可能性について朱熹はどのように考えていたか」「工夫が必要だった聖人もいるとのことだが、聖人には二種類あるのか」「牟宗三が論じた朱熹と荀学の関連についてどう考えるか」「朱熹の工夫と禅はどのような関係があるのか」など数多くの質問が提起された。
朱熹が提示した様々な概念についてはこれまで数多くの研究があるが、江氏の研究のように、朱熹が有していたと考えられる問題意識を、当時の思想潮流を鑑みて正確に把握し、その問題意識のもと、朱熹が主張した様々な概念やテーゼを体系的につないでいく試みは、ひとりの思想家としての朱熹の姿を、私たちにわかりやすく示してくれる。しかしその一方、この体系から外れる朱熹の思想も残されているように思い、これらをどう理解するかについても、朱子学研究者にとって重要な課題になるだろう。
報告者:田中有紀(東洋文化研究所准教授)