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2021.06.28

【報告】藤木文書アーカイヴ・レクチャー: 丹羽みさと氏「駒場博物館の一高資料の整理とその活用法について」

624日(木)13時より駒場博物館(以下、駒博)セミナールームにて、丹羽みさと氏(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター・助教)より、歴史資料の整理と活用法についてご講義いただいた。オーディエンスは、本プロジェクトメンバーの宇野瑞木氏(EAA特任助教)、高原智史氏(EAA・リサーチアシスタント)、横山雄大氏(EAA・リサーチアシスタント)、そして宋舒揚氏(総合文化研究科博士課程)、報告者(日隈)の5名である。

今月より始動したプロジェクト「藤木文書アーカイヴ」では、主として戦時中における一高留学生に関する「藤木文書」の撮影と再リスト化(仮の段階)をひとまず終えたところである。とはいえ、これらがデータとしてひろく活用される道を拓くことこそが本プロジェクトの一つの主要な目的であるため、今後は公開に向けて舵を切る必要がある。そこで、かつて駒博において整理・公開を主導した丹羽氏に、資料整理のあり方を中心としてお話をいただいた次第である。

 

 

近現代の史資料について最初に配慮すべきこととして、個人情報がある。とりわけ書簡類には、住所・氏名はむろん、書簡であればこそ記し得た私的な事柄が満載である。当人がすでにこの世におらずとも、その血縁者・姻族が存命の場合はそうした情報が公開にあたって侵襲的であるかいなかを検討しなければならない。知的な資源はできるだけ公開することが望ましいが、実際に駒博所蔵の一高資料にも閲覧制限を設けている場合もあるという。

また、歴史資料のデータ化は研究活動に用立てることをその使命とするが、資料の分類整理には分類者・整理者の資料への評価が必然的に含まれる。資料の命名や分類に恣意性はないかということは常に念頭においておかねばならないが、たとえ恣意的であると思われるにせよ、その注記・エクスキューズを資料の公開にあたって付記しておくなど、施すべき処置はある。例えば、複数のまとまりとして収集された資料群を、まとまりを解消して要素の類同性にしたがって分類するとしても、そのまとまりの記憶は、どこかに記しておくといったようなことだ。したがって仮に分類を変更し資料番号を振り直すにしても、旧番号は少なくとも内部資料としては保存しておくべきだと、実際の一高資料の分類の変遷を例に丹羽氏は語った。なお、この話題については考古学者や文献学者、図書館情報学者のあいだで価値観・態度の相違があるようで、個人的には少なからず興味を誘うところであった。

 

 

講義後、駒博の収蔵庫に潜り込み、資料の整理の仕方や保存方法を実地で検討した。分類番号と配架順に大きな違いがある場合、検索に不必要な時間を要することがある。写真を整理するには適切なフォルダ、ファイルを買い揃えなければならない。いずれも、基本的な注意点であるようだが、注意してもしすぎることはない。丁寧に整理されていても、「未活用資料」に新たに気付かされることもある。二次文献だけを相手にしていると必ずしも見えてこない事物そのもの、ローデータへのまなざしが今回、開かれたように思う。

 

 

報告者:日隈脩一郎(EAAリサーチアシスタント)

撮影:宇野瑞木(EAA特任助教)