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2021.06.16

【報告】第19回石牟礼道子を読む会
《企画》座頭と瞽女の説経(節)の語り——兵藤裕己氏をお迎えして

2021年6月15日(火)15時より、EAAセミナールームにて第19回石牟礼道子を読む会が開催された。石牟礼と古典をテーマとした特別企画の第2弾として、兵藤裕己氏(学習院大学名誉教授)をゲストに迎え、「座頭と瞽女の説経(節)の語り」と題した講演を頂戴した。そして、兵藤氏の解説のもと、最後の琵琶法師と言われる山鹿良之氏(1901-1996)による「刈萱石童丸」の1時間弱の記録映像の観賞会を行った。司会は宇野瑞木氏(EAA特任助教)が務めた。読書会メンバーの鈴木将久氏(東京大学)、佐藤麻貴氏(EAA特任准教授)、山田悠介氏(大東文化大学)、宮田晃碩氏(EAAリサーチ・アシスタント)、建部良平氏(東京大学大学院博士課程)、報告者の髙山花子(EAA特任助教)にくわえて、野田研一氏(立教大学)、高橋悠介氏(慶應義塾大学)、倉持長子氏(聖心女子大学)、川上佳風氏(学習院大学文学部4年)、それから撮影のために、小手川将氏(EAAリサーチ・アシスタント)が参加した。

はじめに宇野氏より、兵藤氏のこれまでの仕事が、論考の中でユージン・スミスの写真集『MINAMATA』に言及のある『語り物序説——「平家」語りの発生と表現』(有精堂、1985年)から、DVD付録のついた『琵琶法師——〈異界〉を語る人びと』(岩波新書、2009年)等をへて、近著の『物語の近代——王朝から帝国へ』(岩波書店、2020年)に至るまで、一貫して「声」による語り物と共同体についてのものであり、それが、石牟礼道子のテクストにすくなくない頻度で現れる瞽女のイメージや浄瑠璃への依拠の背景に近づくための鍵になると考えられて今回の企画実現に至った経緯が述べられた。

兵藤氏は、1980年代にかなりの頻度で九州に赴き、中世以来の説経節の伝承について実地調査を重ねてきたという。九州各地の座頭(盲僧)について、自身で撮影した100本近くのビデオ映像は成城大学民俗学研究所に寄託されている。各地で採録される唄い物の特徴や異同をつきあわせるなかで、上方・江戸の説経正本が地方で伝播したという考えでは到底説明のつかない伝承の実態に迫ってきた兵藤氏のライフワークの凄みが感じられる時間であった。

 

 

今回、上映のために選ばれた、山鹿氏による「刈萱(かるかや)石童丸」は、行方不明の父を訪ねて主人公が高野山へと旅する物語である。1989年3月16日に山鹿氏の自宅で録音された記録映像を、兵藤氏自身によって作成された翻字資料と照らし合わせながら視聴して一同に痛感されたことのひとつには、いかに言葉の繰り返しが多く、そしてそれらの即興性が高いか、ということだっただろう。兵藤氏は、冒頭での解説で、ホメロス研究者であるミルマン・パリーによって導かれた叙事詩の口頭的構成法(oral composition)とオーラル・フォーミュラ・セオリー、その影響を受けた山本吉左右による瞽女唄の分析を紹介していたが、視力を喪失した者が声によってそのたびごとに創り上げるものがたりの世界が映像をとおして体感されたように思われる。

質疑応答では、目が見えないものにとっての風景とイメージがどのようなものであるのか、聞き手の反応によってパフォーマンスにどのような変化が生じるのか、など、さまざまな議論が交わされた。兵藤氏が持ち運び可能なVHSで撮影を開始したのが1988年であるため、それ以前の記録はなく、何十種もの語り物のレパートリーを自在にそのつど語っていた山鹿氏の技芸が極みに達していた時期の演奏は、録音にも残っていないという。長さについても、今回視聴したのはかなり短い部類のものであり、往年は、一日一段単位で語りが一週間かけて行われることがあったという。メディアの変化と連動するように記録されずに忘却されてゆくものがつい数十年前まであったことに思いが馳せられた。

振り返って、興味深かったのは、議論において、石牟礼道子が自己と他者の境界の淡い語りを書いていることを、泉鏡花の初期作品「化鳥」(1897年)と比類させる流れがあり、また、兵藤氏によって、作家の松浦寿輝氏の小説『人外』(講談社、2019年)への目配せがあった点である。これまでの会の集まりでは、反復というテーマに加えて、自然や、人ではないものとのコミュニケーションが話題となっていたが、文字によらない声のパフォーマンスにある種の文字の文化の影響を受けた人たちのフィードバックが働いている可能性だけでなく、そこにはさらに、必ずしも人間とは限らないものの存在の働きかけがあり、それらが融和した結果、誰の語りなのかわからず、主体、という用語で説明することそのものに再考を迫るような形で、しかしそれでもなお、コトバが生成していることについて、大きなヒントが与えられたように思う。状況の制約がなければ夜通しでも聞いていたい刺激的な話であり、閉会が惜しまれた。兵藤氏には、貴重なお話を惜しみなくいただいたことに心から感謝したい。今回のイベントの内容については、後日、EAAウェブサイトにて映像アーカイブとして公開を予定している。

山鹿氏の生誕120年、没後25年を記念して、来月7月には浅草にて、浪曲と肥後座頭琵琶の演奏とあわせて、長編記録映画『琵琶法師山鹿良之』(青池憲司監督、1992年)の特別上映が行われる。9月には別の関連ドキュメンタリーの上映会を企画しているが、兵藤氏も映り込んでいるというこの映像も見た上で、夏以降、さらなる議論を行い、思考を進めたい。

 

 

報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)