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2021.06.01

映像制作メモランダム(3)

101号館映像制作プロジェクト」と銘打たれた企画が動き出してから、すでに半年が経とうとしている。これまではやや頭でっかちに、共同体や排除/包摂、エリーティズムといった、いかにも鍵語めいたものを弄しては、どのような映像が撮れそうかという構想ばかりに終始してきたが、結局それは「物語」の構想でしかなかった。

 この5月は、実際にカメラを回し始めている。カメラから世界を覗くと思うのは、世界の側が呈示してくる豊穣さの前に、抽象的な構想なるものがいかに撓ませられてしまうか、ということだ。それは具体の圧倒的な重みによる、挫折と言ってすらよいかもしれない。

プロジェクトを通じて普段ページを繰っている、1930年代半ばの一高寮日誌、とりわけ中国人留学生をめぐる箇所は読んでいて確かに面白い。国家の問題、一高の問題、青年の問題がそこには渾然一体として描かれている。けれどもその記述と、我々がそれをいま読むという経験を接合して幾分かでもアクチュアルな映像表現を目論むとき、30年代以外のいつか、駒場ではないどこかのイメージが欲せられてくる。それはコロナ禍という状況の息苦しさ、そこからの解放を求める気分と、どこか似通っているようにも思う。渋谷でのプロジェクトの打ち合わせ中にカメラを回したり、8mm風カメラを持って代々木公園を訪れたり、駒場キャンパスの地下に潜ったりする日々は、解放を求めてというよりは、ただの彷徨と言うべきかもしれないが、そこでかき集められた断片が、やがて一つの像を結ぶことを期されているように、単なる彷徨にも、ひとつの方向がきっとあるだろう。

 

代々木公園

 

報告・撮影:日隈脩一郎(EAAリサーチ・アシスタント)