5月22日(土)日本時間 15 時より、第6回日中韓オンライン朱子学読書会が開催された。これまで同様、EAA のほか、清華大学哲学系、北京大学礼学研究中心との共催である。
今回は陳叡超氏(首都師範大学)が司会を務め、鄧慶平氏(江西師範大学)が「沈黙する多数の発見—朱子門人と朱子学研究」と題し、2017年に出版した『朱子門人与朱子学』(中国社会科学出版社)について報告を行った。
朱子の門人や後学は朱子学研究において欠かせない存在であり、最近十数年の朱子学研究での成長分野であるが、朱子門人全体がどのような思想史的貢献をしたのかについてはまだ研究の余地がある。門人とは、ここでは朱熹に師事した記録がはっきりと残る「一伝」の弟子を示す。
朱子学とは、第一に朱熹学(朱熹の思想)、第二に狭義の朱子学(朱熹とその門人の思想)、第三に「後朱子学」(朱子学の後の発展)が含まれる。朱熹自身は生前、経書全てに遍く注釈を施せなかったため、彼の学術思想体系には不足がある。そのため朱子門人による補完が必要とされた。たとえば『朱子語類』は、朱子学の学術思想体系が発展するための第一段階と位置付けられる。
鄧氏の考証によれば、明確な記録が残り名を留めている朱子の門人は合計492名であり、南宋の様々な地域に分布し、官職についた者や著述をなした者も多く、南宋後期に大きな影響力を持った知識人群であるといえる。儒学は少数の一流の思想家から成り立っているのではない。朱子学を形成した重要なメンバーとして、朱子門人は様々な役割を果たした。第一に、朱子門人は朱子学の最も早期の学習者・信仰者・実践者である(門人たちが師事するタイミングは、朱熹が地方官であった時、帰郷し講学を行っていた時、外遊していた時の三種あり、彼らが分布する地域は非常に広範で、それぞれ朱子学を学び、尊崇し、実践していた)。第二に、朱子門人は朱子学の学術思想体系が形成される過程における重要な参与者及び完成者である(『朱子語類』が示すように、多数の門人たちが朱熹の学術思想の背後にある問題体系を開拓し完備させていき、「朱熹学」を「朱子学」へと転換させた)。第三に、朱子門人は南宋中後期における朱子哲学思想体系の重要な創立者であり主要な代表者である(たとえば蔡元定の象数易・地理堪輿・楽律や、黄榦の太極を宇宙論の基礎とする思想体系など)。第四に、朱子門人は朱子学の思想と義理を体系的に理解し規範化した再解釈者である(典型例は『性理字義』や『北溪字義』等)。このほか、朱子門人は、朱熹の歴史的イメージを構築し朱熹の「道統」における地位を確立させ、さらに朱子学の社会化・制度化を推進した。また、朱子学を後世に伝えさらに発展させ、海外への伝播において重要な役割を果たし東アジア朱子学の代表となったこと等も重要な役割として挙げられる。
儒学の伝統において、門人は単に受動的に学ぶだけではなく、学派の形成に重要な役割を担う。彼らは師とともに学派を形成し、それぞれの時代において広範な社会的影響力を発揮するだけでなく、学派の理論が形作られ長期存続し、やがて分化する過程において重要な学術的地位を占めた。門人研究を重視するということは、儒学の中に、社会性や変化・発展していく連続性を認めることにもつながる。
門人研究を進めるにあたっては、まず門人自身の問題意識や時代的任務に注意し、その学派の創始者の思想を、門人の思想に取って代わらせてはいけない。また、中国儒学に限らず、韓国・日本・ベトナムなど海外の儒学を視野に入れることも重要である。
質疑応答では、「17世紀の韓国や日本の儒学文献の中には『朱子語類』に登場する問答と類似する内容があり、17世紀の韓国・日本の儒者は必ずしも『朱子語類』を見ていたわけではないが、なぜ同じような問題意識に行き着いたのか」「朱子門人の中で心学に転向した者はいないのか」「朱熹の理気論への疑問は、何代目の門人から生じてくるのか」などの質問のほか、理学と心学の関係、『北渓字義』の日本儒学への影響など、様々な方面からのコメントや質問が寄せられた。
鄧氏の報告は、朱子学を研究する本読書会において、改めて「朱子学とは何か」を考えるために非常に有意義なものであった。朱子学の後世への社会的影響、東アジアへの伝播を考える上で、朱子門人の思想は再評価されなければならないだろう。
報告者:田中有紀(東洋文化研究所准教授)