2021年4月12日、「<現代作家アーカイヴ>文学インタビュー」の収録の模様がZoomにて公開された。今回のゲストには、詩人・小説家である松浦寿輝氏を迎え、聞き手を武田将明氏(総合文化研究科)が務めた。現代作家アーカイヴの文学インタビューでは、毎回ゲストが自身の代表作を3作選び、それらを軸としゲストの作家活動を振り返る形でインタビューが展開される。今回松浦氏が選んだのは、『松浦寿輝詩集』(1992)、『青天有月――エセー』(1996)、そして『人外』(2019)の3作。さらに『明治の表象空間』(2014)、『幽 花腐し』(2017)の詳説なども織り交ぜつつ、松浦氏の創作史が紡ぎ出された。
松浦氏は、詩から小説、エセー、評論、研究活動など多岐にわたる分野で執筆活動を繰り広げてきた。その原動力はどこにあり、いかなるきっかけにより創作の幅を広げてきたのか。幼少期より世界とどことなく噛み合わないという孤独感から、世界(他者)と自身を結びつけるものは言葉しかないという意識を抱いていたという。言葉というものに対する様々なコンプレックスがないまぜになった一種のやるせなさを抱える中、言葉のユートピア、純粋結晶としての詩、そして自分の何かを作りたいという欲求に突き動かされ、徐々に詩を書き始めたと話す。詩作を始めた1978年ごろは、松浦氏が渡仏中にフランス語で論文を執筆していた時期にも重なる。フランス語で論文を書くということ。それは、自分の肉や骨のしがらみになっている日本語を一度引き剥がし、異なるシステムと歴史を持つ別言語の中で自分の表現を作ることを意味した。詩作と論文執筆で「自分の表現」を創ることに励んだ20代であったという。
だが松浦氏にとって「自分の表現を創る」ことは、「自己表現」(self-expression)とはまた別物であるという。「物語」(『ウサギのダンス』所収)の冒頭には「一人称の物語はこれで終わる」という一文がある。近代文学は、主人公の「私」が真実を語ることに始まりがあるとされるが、武田氏がその一文に近代文学の定型への拒絶を見出すと、松浦氏は「内から出てくるExpressionとは別のものを書きたいという気持ちがあった」と明かした。松浦氏にとって「物語」はいわば「詩の方法論をめぐる詩」(メタポエム)であり、それ自体を詩にすれば面白いのではという発想から生まれたという。
自発的に書いた詩の場合とは異なり、小説を書く契機となったのは、『大航海』の編集をしていた三浦雅士氏からの依頼であった。「僕は外から来た力を利用し方法を変えてアウトプットして、ということで来ている気がします」と述べる松浦氏は、同じく依頼により執筆したエセー『青天有月』を、「非常に自由に自分の中のものが流路してできた幸福な1冊」として、自身の選ぶ3冊に挙げる。
ジャンルを超越し、詩、エセー、小説、評論とのあいだをたゆたう松浦氏がその小説に繰り返し描くのは、世間と社会、幻覚と現実、生と死などの「境界」にいる存在である。武田氏にその理由を問われると、松浦氏は、この現世が濁世だと思っているところがあり、どこかでそこから離脱したいという一種の憧れがその奥底には絡んでいると述べた。だが離脱してどこに行くのか。どこに行けるわけでもなく、結果「こことあそこの境目のようなところ」にいつも立ち戻っていく小説や詩が創られた、と氏は語る。だがその境界の描き方は決して ‘transgressive’(境界侵犯的)ではない。‘liminal’(境目の・閾の)な場所を揺蕩っているとの武田氏の指摘に、むしろその揺蕩いのメカニズムを追求したい、と松浦氏は答えた。
インタビュー本編では、武田氏の丁寧な読みから発せられる問いに誘われ、言語、生死、光と闇、ジャンルの境界を彷徨う松浦氏の創作過程や実験、探究の跡が、次々と詳らかにされてゆく。インタビューの終盤には、松浦氏が詩集『秘苑にて』(2018)から選んだ一篇「光の庭」の朗読があり、インタビューで聞き知った松浦氏の執筆活動における歩みの一歩一歩に思いを馳せつつ耳を傾けた。松浦氏の世界観が像を結んではまた解け、さらに新たな印象が形成される。揺蕩い変容し続ける松浦氏の創作史を追体験できるようなインタビューであり、その著作を改めて再読したいという思いに駆られた。
報告:片岡真伊(EAA特任研究員)