始まりは2020年11月のことだった。EAAの駒場オフィスが位置する101号館が、旧制第一高等学校時代、中国人留学生のために建てられた学び舎だったという歴史的な巡りあわせから2019年春に生まれた一高プロジェクトの、その充実した研究成果をもとに、101号館という建築を映像作品にするという企画が動き出したときである。「101号館映像プロジェクト」と銘打たれたその制作に、リサーチ・アシスタントとして参加してから一年余りの月日が流れた。短いあいだに紆余曲折を経て、映像プロジェクトは『籠城』というタイトルの一つの映画作品に結実しつつあり、わたしたちの眼前にまもなく誕生する。また、ぐるぐると制作が混迷していた昨年7月頃に「藤木文書アーカイブ」プロジェクトにも参加することになり、こちらも今年3月22日から開催される展示「もうひとつの一高──戦時下の一高留学生課長・藤木邦彦と留学生たち」にて、その集大成を示していくことができるだろう。要するに、EAAでのわたしの営みはこれから花開いていくのであって、何らかの果実が自分から離れていくという感覚はまだないのだが、今年度末でリサーチ・アシスタントという任を離れることになる。そういうものだろう。社会と生のリズムがわたしを通り過ぎていく。
しかし、それにしても、あの頃の自分は、旧制一高をテーマに映画作品を監督することになるなんて予想だにしなかったはずである。ひたすら何かを作りたくて、作らずにはいられなくて、おこがましくも多くの人を巻き込んで、無茶な考えを実現しようと躍起になるわたしの散乱する欲望に、辛抱強く、具体的な制作の場を与えていただいたEAAと関係者の方々には感謝してもしきれない。謝意を述べようとすれば次から次に顔が思い浮かんで際限ないので、ここでは、「101号館映像プロジェクト」にわたしを誘いかけて、いま一区切りがつこうとしている一年余りの冒険のきっかけをつくってくださったEAA特任研究員の立石はなさんに、特別のお礼を申し上げたい。
季節は春めいて、101号館前に見られる白梅の蕾も開いてきた。昨年2月、旧制一高についてほとんど何も知らなかったわたしは、駒場博物館に所蔵されている関連資料を読み漁っていて、寮日誌のなかに、日中両国生徒の親睦融和を目的とした棣華会の議事録を見つけた。「棣華」とは梅花のことだと知り、咄嗟に、いまのうちにこの象徴的な花を撮影しておかなければならないと思った。結局、そのときの映像が『籠城』に使われることはなく、風にそよぐ梅木と101号館の外観という何てことのない風景が、わたしの意図とはまったく無関係に記録されているのみである。そして、時間は巡り、同じ場所で、わたしは梅の旬を迎えている。
柔らかな陽光に照らされて先々のことをぼんやりと思案しながら梅の撮影をしている当時のわたし自身を、いま思い浮かべてみる。振り返ってみれば、たいして昔でもないのに随分と遠い出来事のように感じ、それなりに変わることができたかなとほくそ笑んではみるものの、自分の変化を少しでも事細かに語ってみようと試みると、たしかに生きてきたみずからの過去を感傷的に飾り立てる愚行を犯してしまうように思う。そもそも、曲がりくねったここまでの道程にいったい何の意味があったというのだろうか。それはわたしの回想にではなく、わたしたちの映画作品と展示のなかで現れてくるものだろう、そうなるように願っている。
いつからかあまり自分の過去を顧みることがなくなった。もとより物覚えは悪いほうで、思い出せないことが増える年頃になっただけのような気もする。何かを作りたいと欲するようになったのがいつのことなのか、まったく定かではない。いつまでこの自分の生が続いていくのかも当然わからない。この先、わたしはどれほどの仕事に着手して、いくつの区切り線を引き、このように生の道筋を振り返っては自分を継ぎ接ぎにする機会を得ることになるのだろうか。知る由もないが、しかし、少なくとも、先へ、もっと先へと生き続けなければならない――そのように、わたし自身に言い聞かせるように記して、筆を擱くことにする。
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)