中国美学の研究を志してから、しばらく自分の居場所を探していた。
美学はそもそも十八世紀ドイツで哲学の一部門として成立した学問であった。美や芸術、感性について概念や命題、図式によって形而上的に解明しようとする分野である。そのようにして発生した美学は、十九世紀末から二十世紀に東洋にもたらされた。しかし他方で、たとえば中国には長らく芸術論の伝統があり、詩話のような断片的な芸術批評が有力であった。芸術をある種のアプリオリなものの外面的な記号として捉えた西洋の芸術伝統と異なり、中国では芸術とはそれを通して目指す内容そのものでもある。かけ離れているように見える東西の芸術的思想をいかにして同等に考察するのか、それは十九、二十世紀以来問われ続けている問題である。
大まかに言えば日本は早くから西洋美学を受け入れ、日本・東洋美学の発展に注力してきたが、少々西洋の論題や手法に束縛されているところが見受けられる。対照的に、一九八〇年代以降思想界の大論争を経た中国では、西洋と異なる自らの美学の系統を打ち出そうとしている。それは前近代の直観的感想に基づく芸術批評や文学論に近い性質のものではないかと感じ取れる。それに対し、私は西洋美学の手法を本格的に用いて中国のテクストを捉え直そうと考えていた。
ところが、修士課程から学会での口頭発表などでは苦労していた。カントやヘーゲルを扱うならば、なぜカントやヘーゲルを研究するか、彼らを研究する意義は何か、といった質問はまず出ないが、銭鍾書という中国二十世紀の人文哲学を代表する人物を扱う際には、その意義や位置について頻繁に質問された。日本の美学研究において、中国近代美学の領域を切り開かなければならないと痛感しつつも、落ち込んでいた。そうした中、EAAのRAの面接では、中島隆博先生から、銭鍾書の『管錐編』は難しいよね、とコメントをいただき驚喜したものである。またオリエンテーションの日に、石井剛先生から、銭鍾書の『囲城』(日本語訳『結婚狂詩曲』)は抑圧の時代(日中戦争の前夜)における知識人の生存の描写が苦くて堪らないよね、という感想をいただいた。中学時代から『囲城』の言葉の諧謔や洒脱、そして背景に透ける圧倒的な教養の深さに惹かれていたが、改めてその基調となる人生像に関する普遍的な悲哀について考えるきっかけとなった。何より銭鍾書の話ができたことが嬉しかった。
中国前近代の哲学、文学、芸術論を素材とし、さらに西洋思想の影響によって成立した中国美学を考えるために、EAAほど適切な場はないのではないかと考えている。リベラルアーツを目指すEAAにおいて、美学のほか、社会学、経済学、政治学、人類学といった分野に広く触れる機会にも恵まれ、さらにまだ研究テーマを絞っていない学部生たちの、大胆な発想と質疑に常に刺激を受けた。
そこで、哲学のあり方について考え直した。それまで集中していた「哲学」の研究は、基本的にテクストに向かって、誰が・いつ・どのような文脈で・何を言ったかを解明するようなものである。哲学や美学は理想の探究に従事する学問であり、過去にあったことや、現在進行中のこと、未来に起きる(であろう)ことに無関心で、(社会学や経済学と異なって)現実世界と離れたレベルで検討するものであると思っていた。しかし、それと異なり、現実世界を目の前にし、人間の生き方や世界のあり方を直接問いかけようとする哲学もある。つまり、私が以前テクストとして扱った論者の思想と同等なものを産出するような哲学である。先行する哲学者の思想を資料として分析するほか、その思想を自分の武器に改めて世界を直接考えるという哲学のやり方に開眼した。EAA生活でよく耳にし口にした言葉として、「人新世」がある。人類がこの世界に決定的な影響を与えるようになった時代に、人類社会/世界の働き方に関して、社会学、経済学、政治学、環境学のほか、哲学的にいかにアプローチすべきかも課題である。一見実用と無縁の人文系の学問で磨いた思考力によって、この世に何か貢献できればと思う。
学問の内容のほか、学問への態度について多く教わった。とりわけ教員たちの、若手研究者や若者の好奇心や未熟さへの寛容さに感心していた。これに関して講義のTAとして直接関わる機会の多かった佐藤麻貴先生と張政遠先生には大変お世話になった。「私を踏み台として、ぜひさらに広い世界へと飛び込んでください」という佐藤先生の言葉は今後も耳に響くであろう。
EAAのRAを離任するが、今後も関われることを期待している。とはいえ、一旦この機会を借りて、RAの同期、助教や特任研究員の先輩、教員やあらゆる講義で出会った研究者の皆様に心より感謝の意を申し上げる。「山高水長」の深い恩情に感謝し、それぞれの分野でのご活躍、そしてEAA全体のご発展を願っている。
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