建部良平
RAを始める少し前、『日本を解き放つ』(小林康夫・中島隆博著、東京大学出版会、2019年)という本が出版されました。修士論文を提出し、この先どのような研究をしていくか、悶々としていた時期だったのを覚えています。2人の哲学者が何やら面白そうなことをやっているようだ。書中には色々な議論や概念が出てくるわけですが、その辺りはあまり気にせず、楽しそうにしている感じを眺めていました。自由とは何かを論じるつもりはありませんが、この本を読んで感じたことを敢えて言葉にするなら、それは自由でした。こんな風に言葉を発せるようになりたい。自分が面白いと思える研究や言葉を、自由に発し続けていたい。そんな思いを抱きながら日々を過ごしていました。そして、東アジア藝文書院(EAA)での活動は、そんな思いに応えるようなものでありました。
以下、任期中に書いた4篇の論文を通して、自身の宣伝も兼ねながら、この2年間の活動を振り返りたいと思います。これらはいずれもEAAに関わる中で、明に暗に影響を受けながら書いたもので、自由に言葉を発したいという思いを受けての、自分なりの実践でもありました。この二年間の活動の「あとがき」の様なものとして読んで頂けますと幸いです。
①「人情と科学の哲学者:戴震及びデイヴィッド・ヒュームの比較可能性についての試(私)論」『比較文学・文化論集』第37号、東京大学比較文学・文化研究会、2020年
この論文は2019年の9月に書かれたもので、同じくRAをしていた高原智史さんの所属専攻の同人誌に掲載させて頂きました。2019年度前期のEAAでの活動を終え、9月に行われた北京大学での集中講義(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2019-1373/)に補佐として同行していた頃のことです。前期に学部生向けに開講された「学術フロンティア講義」や、東京大学・北京大学の学生に啓発を受けながら、そして冒頭に挙げた『日本を解き放つ』の興奮が冷めない中、とりあえず修士論文でも扱った戴震(1724-1777)を扱って何か書いてみようと思ったのが、大きな理由でありました。また現在特任研究員に就いておられる若澤佑典さんのワークショップ(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2019-838/)にて、デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)について話したことも契機となっています。出来としてはあまり十分なものではないですが、とりあえず何か描きたいという感情をぶつけた、思い出深い論文です。
②「他者をその他在において理解する : 丸山政治学の現代的読解と「弱い主体」」『思想史研究』第27号、日本思想史・思想論研究会、2020年
2019年の11月から2020年の1月にかけて書いたものです。この論文を書くにあたっては、特任講師の王欽先生との関わりが非常に大きかったです。王先生は2019年の後期よりEAAに加わり、早速「文学と共同体の思想」という読書会を開かれました。今まで親しみのなかった分野のテキストについて議論できる貴重な場であり、丸山真男の福沢諭吉に関するテキストに基づいて発表する機会(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2019-1747/)も頂きました。このテキストへの関心は、上に述べた北京大学での集中講義から出ており、読書会での発表、そして2020年1月にニューヨーク大学で行われた「winter institute」(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2020-2344/)でも発表を試みました。発表した内容と、最終的にまとまった論文の内容とは異なる点も多いですが、これら得難い機会を通して自身の文を著せたことは、とても幸運でした。簡単に国境を跨げなくなってしまった現在から振り返ると、尚更その思いが強まります。
③「老いた人間は何処へ:段玉裁「四郊小学」説を読む」『中国哲学研究』第31号、中国哲学研究会、近刊
2020年の7月から11月頃に執筆した論文です。本論文の契機も、6月に開かれた王欽先生の読書会(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2020-3002/)での発表にありました。テキストとして提案した吉川幸次郎の『読書の学』(筑摩書房、1975年)を語る中で、段玉裁(1735-1815)に関心を抱き、段玉裁の読解を通して見出したものを、論文としてまとめたものです。自粛要請によって人との交流が制限される中で、オンラインではありますが自身の研究をめぐって議論を交わせたのは、大きな励みになりました。また原稿を書き終えた後ではありますが、同年10月より研究員の前野清太朗さん・高山花子さん・若澤佑典さんの発案で始まったEAAブックトーク(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2020-4175/)にて、貴重なフィードバックを得ることも出来ました。本論文を通して、博士論文の像が少しずつ捉えられるようになったのは、非常に大きな成果でした。段玉裁については、今後も幾つか書いてみようと考えています。
④「「苦海浄土」と共に——狂いと救い、そして笑い」『石牟礼道子を読む——世界をひらく/漂浪く』(EAA Booklet)、東アジア藝文書院、近刊
石牟礼道子について書くことになるとは、当初は全く思っていませんでした。特任研究員の宇野瑞木さん・高山花子さんを中心に、2020年6月より始まった「石牟礼道子を読む会」に途中から参加。11月に開催されたワークショップ(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/ishimure-201121/)では発表の機会を頂き、論文としてまとめることが出来ました。思いがけず始まったことではあったのですが、石牟礼道子の世界に触れることで自分の世界が大きく広がり、実りある試みでありました。今後ともこの読書会には関わり続けたいと思っております。
以上、簡単に振り返っただけでもEAAの活動を通して、様々な思考を展開できたことが分かります。恐らくこれら全ては、わたし1人だけでは考え付かなかったことだと思います。RAになる以上は、活用できる資源は存分に活用させて頂こう。このような打算も当然あったのですが、その打算を大きく超えるものがありました。2年前に、今後の研究について悶々としながら、そして『日本を解き放つ』に心躍りながら過ごしていた自分では、想像もつかなかったことが起きたと言っても過言ではありません。もちろん、ここに書ききれなかったことや、まだ上手く言葉に出来ない感覚なども、多々残っています。それについては、今後の研究活動を通して示していければと思っております。
最後になりますが、関わった全ての方々に感謝申し上げます。2年間大変お世話になりました。EAAの更なる展開を心より楽しみにしております。
写真撮影:高山花子(EAA特任助教)