EAAのRAをやってみませんかというお話を指導教員の伊達聖伸先生から頂いたのは、博士課程の5年目を迎える頃だった。以前から、先生が携わるEAAのイベントには何度か参加したこともあり、EAAの取り組みには関心があったため、博士論文執筆の佳境の年ではあったが、きっと何か刺激になると思い応募させていただいた。
私は駒場の地域文化研究専攻に所属し、卒業論文の頃からフランス北東部のアルザス=モゼルという地域における宗教と教育の関係に興味を持って研究を進めてきた。ただ、どんなに意識をしていても、大学院で自分の研究テーマに没頭していると何かと視野が狭くなりがちである。ある意味では仕方のないことだが、せっかく学問という広い世界に身を置いているのに、そうなってしまうのはどうも勿体無い。自ら積極的に異なる畑を覗いてみては、そこで得た知識を己の血肉にできる人もいるのかもしれないが、残念ながら私はそれほど器用(フッかる?)ではなかった。領域を横断すること、違う世界に目を向けること、自分とは異なる立場を想像すること…言葉で言うのはとても易しいが、それを丁寧に行うのは実に難しい。
ひたすら博論執筆に身を投じていた日々のなかで、EAAでのさまざまな業務は、このような本質的なことについて立ち止まって考えるためのささやかな余白を提供してくれた。「東アジア教養学」のTAセッション、学術フロンティア講義や各種イベントの補助など、EAAに携わったことで得られた発見や知見はたくさんあり、自分の研究にとって重要な視点に気づけたのも一度や二度ではなかった。同時に、自然科学に引けを取らない奥深さを持つ人文学の研究が、もっと社会と有機的につながる場が増えたらいいのにと思う場面も多々あった。
印象に残っている講義がある。私がブログ報告を担当した二回の学術フロンティア講義だ。一つは「『気象台』の宗教学」に関する伊達聖伸先生の回、もうひとつは京都大学の藤原辰史先生が「分解の哲学」を紹介された回だ。各回の内容の魅力を書くには紙幅が足りないので拙稿をご参照願いたいが、個人的には、両氏の講義を通して大学と社会をつなげる学問のあり方、姿勢を垣間見られたことが何よりの学びだったと思う。自分の立ち位置から違う領域にいかに自由に「移動」できるか、研究における課題をいかに社会の課題に引き寄せるか、いかにしてさまざまな人びとを巻き込むか…そんなことをあらためて考えさせられた時間だった。当たり前のことを言っているようだが、実践するのはこれもまた難しい。けれどもそれができる研究こそ、魅力的なものであるに違いない。
さて、ここまで書いておきながら私は4月から進路を変更して大学を離れるため、RAの業務は一年で終わる。新天地では、研究とは少し違うかたちでアカデミアと社会とをつなげる仕事に携わることになる。この間に得た視点や気づきの芽を枯らさぬよう、これからの道で自分なりに花を咲かせられたらと願う。博士課程でのさまざまな機会に感謝し、謙虚に邁進しつづけたい。

