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2025.02.18

【報告】2024年S/Aセメスター北京大学派遣留学報告 教養学部 谷栞里

〇2024Sセメスター
2024年の2月から北京大学の元培学院へ留学に行った。もともと半年間留学するつもりだったものを、途中から延長したため、約1年間の留学ということになったのだが、この場では最初の半年間について振り返る。
私は大学入学後に第二外国語として中国語を学び始めた。それまでは特に中国と縁があったわけではないものの、熱心な中国語の先生にも恵まれ、留学前の段階でHSK6級の水準に達していた。しかしながら、留学してから最初の1ヶ月はとにかく混沌の中にあった。ネイティブの言葉が全く分からない上、生活習慣も慣れず、中国に来たばかりの日本人が必ず経験することなのだが、お腹を壊して丸3日ベッドで苦しんでいたこともある。物を買うとき、言葉が通じないと怒鳴られているように感じて(実際には本当に怒鳴られていたり、単にその人の口調が荒っぽいだけだったりするなど色々状況があるのだが)簡単に傷心し、留学生用の授業に出席したのはいいものの、周りは華僑など中国ルーツのある学生ばかりで、自分の中国語レベルでは全くついて行けなかったりするなど、中国語で言うところの「崩溃」とはこういう状態かとつくづく感じたものである。ただ自分の場合はルームメイトに非常に恵まれ、来中して一週間ほど後の「元宵节」では花をプレゼントしてくれたり、3月の私の誕生日ではケーキでお祝いしてくれたりするなど、彼女たちにはいつも元気づけられていた。そこで、ひとまずルームメイトと楽しく話せる水準にまで中国語を上達させることを当面の目標として頑張ることとした。
留学開始から約1ヶ月半後、北京大学の生活にも慣れてくると、今度は五月病的な症状に襲われた。留学当初のドキドキワクワクな感情が消え去って、疲労と倦怠しか感じなくなったのである。どうにも気力が湧かず、ろくに授業にも出席せずに中国語のドラマを見てダラダラと過ごしていると、あなた最近たるんでるね、と北京大の友人から言われ喧嘩になったりもした。
私は大学4年次の留学であったため、もともとは一年留年して5年生の段階で卒業するつもりであった。しかし家族に相談したところ、親としては4年で卒業してほしいと思っていたことが4月頃に発覚し、卒業単位もなんとか足りていたために、五月病を脱却して卒業論文の執筆に取り掛からざるを得ない状況になった。ちょうどその頃、EAA北京大学Aセメスター留学の募集が開始された。私はもっと中国語を上達させたかったし、卒業論文を書くのであれば、中国にいた方が資料も集まりやすいだろうと思ったために延長という形で申請を行った。
Sセメスターの留学を総括すると、学習面では反省が残ったが、生活面では色々なことが達成できた。EAA留学生が居住する寮では、元培学院の中国人学生と4人部屋で一緒に生活する。和式のみのトイレとシャワーは一つの階に二箇所設置されている。寮には驚くほど綺麗で充実した地下室が備え付けられていて、勉強や休憩などに使える。私も時々、地下室の音楽室でピアノを弾いて息抜きをしていた。EAAの留学を検討している人は、この4人部屋の寮生活に不安を抱くかもしれないが、心配は無用である。北京大学では、港澳台以外の留学生は基本的に留学生用の寮に居住するため、現地の学生と寝食をともにできる環境は、EAA留学の最大の特権であると言える。当初はルームメイトも、中国語の拙い純日本人という異分子と生活することに驚いていたが、一ヶ月もすればなじむものである。海外で新しく現地の人と交友関係を結ぶにはそれなりの度胸とコストが必要だが、EAA留学では現地の学生と話せる(話さざるを得ない)環境がもともと用意されていることに大きなありがたみを感じた。北京大学の学習面については、Aセメスターの留学報告にて詳述する。

冬の北京大学。左右の建物は学生寮。

 

〇2024Aセメスター
私は2024年2月から北京大学元培学院へ留学した。もともと半年の留学予定だったものを延長したため、計1年間の留学になったのだが、ここでは後半の半年について記録する。
Sセメスターでの留学記録でも述べたが、私は留学の年に卒業することを決め、留学と並行して卒業論文を書き、大学院の申請や院試の勉強を行なった。また、Sセメスターでは北京大学の授業にあまり集中して取り組めなかったため、Aセメスターでは授業を頑張ることを目標としていた。それゆえ、Aセメスターでの留学生活はほぼ勉強一色となり、新しくできた友人が新しく来たルームメイト一人だけというやや悲しい結果となったが、社交に集中したSセメスターとの釣り合いが取れて良かったとも感じる。
北京大学の学習環境は素晴らしい。学生は全員キャンパス内(留学生はキャンパス付近)の寮に住むことになっているため、通学時間もかからない上、キャンパス内にはいくつもの食堂があり、自分で食事を用意する必要がないぶん勉強に時間を割くことができる。図書館や教室も朝早くから夜遅くまで空いており、いつでも自習できる場所があるのである。
一番素晴らしいのは図書館とデータベースで、蔵書数は東大を凌いでいる。卒業論文を書く際も、大抵の雑誌にアクセスできるのはもちろん、日本語の本も相当あり、とても助けられた。また、複写や取り寄せのサービスが格安で利用できる。北京大学が所蔵していない図書の他機関からの取り寄せは10~30元(約200~600円)ほどで、他機関にある資料の複写に至っては無料であり、日本の国立国会図書館が所蔵する論文の複写さえも送料も含め無料で行える。ちなみに東大の図書館だと、他機関からの図書の取り寄せだと往復郵送料(国内だと2000~4000円)、複写だと白黒40~60円/枚+送料がかかり、海外機関からの資料複写などとても現実的ではない。私は大学の資金力の差を思い知った。
北京大学の授業形態や雰囲気については、東大とあまり違いは無いように感じる。少人数のディスカッション授業もあれば大人数の講義授業もあり、真面目な人もいればそうでない人もいる。北京大学の授業は、学期の途中で「退课」という制度的に認められた授業の「撤退」ができるので、北京大学の留学の際、とりあえず最初はたくさん履修選択してみるのがいいだろう。
Aセメスターはあまり人と関わる時間を取れなかったが、それでも元培学院のイベントに参加したり、Sセメスターで知り合った友人と話したりするなど有意義な時間を過ごすことができた。受講した授業においても、先生方は私の拙い中国語を聞き取って親身に質問に答えてくださったし、課外面談を予約した際には、大学院の進路についても相談に乗って頂いた。卒業論文の執筆においても、翻訳や資料収集の面で多くの人が助けてくれた。ルームメイトには特に感謝を伝えたい。私はルームメイトといつも一緒にいたわけではないが、時折深夜まで政治や恋愛の話などをしてとても楽しかった。
私が中国を初めて訪問したのは大学2年生の秋だった。大学のプログラムを通じた一週間の訪問だったが、その時は日本と違う中国の文化、例えば何かと体面を重視するところや接客業の人の口調が荒いところが、なんだか嫌だなあと思ったことを覚えている。しかし中国でしばらく過ごしてみると、そうした文化にも慣れて、むしろ心地良いと思うようになってきた。今思えば、あの時中国が嫌だと感じていた自分には、中国の文化を日本よりも野蛮だとして見下したがる根性が残っていたのだと思う。郷に入れば郷に従えば良いだけの話なのに、なぜいちいち日本と比較していちゃもんをつけていたのだろうか。確かに、私も中国の眉毛サロンで日本のスパイ呼ばわりされたり、携帯を修理しに行ったら逆に壊されたりするなど、中国の洗礼のようなものを受けたこともあったが、それよりも私が中国での生活で深く記憶に残っているのは、タクシーの運転手の方に自分が日本人だと伝えたら、自分が使っている車も日本製だとか、日本のアニメは面白いねとかいう気のきいた言葉をかけてくれたり、共同のゴミ捨て場に段ボールを畳んで捨てに行ったら、清掃員の方から畳んでくれてありがとうと言われたりした時のような、私的関係に基づかない優しさを感じた瞬間である。天安門広場にある毛主席記念堂の行列に並んでいた時、私は持ち込み禁止のモバイルバッテリーを気づかずに持っていて、一緒に来ていた友人と一緒に一度行列を抜けて荷物を預け直さなければいけなかったのだが、もう一度列に戻った時には警備員の方が私たちのことを覚えていて、列の途中から並ばせてくれた。私が地下鉄に疲れた顔で乗っていた時に、私と同じ年くらいの青年が席を譲ってくれたことも忘れない。私は中国人が皆優しいだとか親切だとかを言いたいのではないが、表面的な情報だけでは見落としてしまうことがあると思う。
留学期間も終わり、北京大学を離れる日、私は寂しさで泣きながらキャンパスにある未名湖の周りを歩いていた。これからは中国語をもっと上達させて、中国でお世話になった人の恩返しをしたい。また、家族や友人など大切な人を連れて北京を訪問しようと思う。

寮のベランダからの景色。遠くに山が見える。