2022年1月14日、第7回EAA沖縄研究会が開催された。第5回・第6回に続き、今回の研究会も2月6日に開催予定のシンポジウム「「琉球」再考」の準備会という位置づけで行われた。シンポジウム登壇予定の髙山花子氏(EAA特任助教)による発表「知里真志保について——アイヌの複数の「うた」」をもとに、参加者が自由にディスカッションに参加した。
知里真志保(北海道庁公式ウェブサイトより:
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sum/senjin/chiri_mashiho/) 姉は『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵。
周知の通り、知里真志保は北海道出身のアイヌ語学者である。アイヌという出自を持ち、アイヌ語を研究したという知里は、沖縄出身者として琉球諸語を研究した伊波普猷に通じる経験を持つと言えよう(ちなみに知里は第一高等学校、伊波は第三高等学校を経て東京帝国大学の言語学科を卒業している)。さらには、伊波が「おもろ」をはじめとする古謡の探究に向かったように、知里もまたアイヌの「うた」について多くを書き残している。
なぜ知里は(そして伊波は)「うた」の探究へと向かったのか。その問いへの一つの手がかりとして、髙山氏は知里の次の言葉に触れた——「歌は楽しみのためにあるのではなく、生きるための真剣な努力なのである。すきだから歌うというのではなく、歌わざるを得ない事情にあったから歌うのである。」(知里真志保『知里真志保著作集2 説話・神謡編II』平凡社、1973年、7頁)。ここには、「歌」といってもそれは、現代において我々が想起するようなものではなく、共同体を営むために必要不可欠な行為としての「うた」が描かれている。さらに知里は「うた」が「歌謡」となる以前の「うた」の姿を明らかにする必要がある、と主張する(ここから先は、2月6日の髙山氏の発表「歌謡以前に向かって——知里真志保からみるアイヌの〈うた〉」をお聞き頂きたい)。
ここで当然、『国文学の発生』に代表されるように、「うた」と共同体の関係性について論じた折口信夫が想起される。実際、アイヌの「うた」(とりわけ「神謡」)についても、折口に多大な影響を受けた金田一京助の説が通説とされてきた。知里は自身の歌謡論を展開するために、まずこの通説に挑戦しなければならなかった。
伊波の場合も、やはり折口学に深い影響を受け、そしてそこからの離陸を試みることによって伊波独自の歌謡論を展開したという背景がある。折口信夫という知の巨人を介して、はからずも交錯した琉球・沖縄とアイヌの「うた」の世界に知的好奇心を刺激されたひとときであった。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任研究員)