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2022.12.21

【報告】EAAシンポジウム「いま、大江健三郎をめぐって」Day 3

2022年12月10日(土)14時より、駒場キャンパスI 18号館ホールにて、一連の大江健三郎シンポジウムの第3日目が開催された(1日目報告文2日目報告文)。初日から1週間をあけて開かれた最終日は、『大江健三郎全小説』全解説を執筆した尾崎真理子氏(早稲田大学)による講演と、尾崎氏と工藤庸子氏(東京大学名誉教授)の対談が行われた。

尾崎氏は、「何が「本当の事」なのか―作家の声と紙の中の声」と題し、長年、読売新聞の記者として大江本人にインタビューを重ね彼の肉声を聞いてきた経験から言葉を紡いだ。ノーベル文学賞受賞後の大江が、日常生活においても、社会的存在として俳優のように演じていた印象があり、それがやがて作品のなかで自由で生きることの希求につながっていっただろう作家の姿を克明に語った。そして、小説家の語り手である長江古義人の生きる世界を描くことが現実を生きることだったのではないか、という視点を、母親の声を紙に刻み込もうとする作家の企図、切迫した声の呪縛も指摘しながら、提起した。概して研究においては、出版されたテクストを対象として分析してゆくことが中心になるが、大江自身の言葉さえも、本当のことなのかどうかについて吟味する余地が大いにあり、時代状況とともに彼の作品を、彼の書き残したものたちを読んでゆくことの意義を、自分自身の実践の態度として力強く示された。

つづいて「紙と声」と題した対談がはじまった。工藤氏は、尾崎氏という女性一人の手によって解説が施された全集の出版、そして蓮實重彦氏が筒井康隆氏との対談で明かした大江との同時代性を契機として大江文学について書くに至ったという。尾崎氏は、工藤氏の『大江健三郎と「晩年の仕事(レイト・ワーク)」』(講談社、2022年)には軽やかに駆け抜けるように小説の中の微細なニュアンスを愉しむ姿勢があることを述べた。工藤氏は尾崎氏の近著『大江健三郎の「義」』(講談社、2022年)をめぐって、島崎藤村と突き合わせての読み筋は不意打ちでありながら説得的であり、それは大江作品の見えない部分、書かれていない時代的背景や出来事が鮮明になってくるような再発見のプロセスがあるからだと評した。

そのように両者の大江観が展開されたあとで本格化した今回の対談は、あらかじめ互いに対する質問が用意されたうえで迎えられた。問いは要約すると次の6つである。「声」と「言葉」をどのように区別しているのか(尾崎氏→工藤氏)。おそらく「紙」に書く最後の大作家である大江の生々しい痕跡について(工藤氏→尾崎氏)。長江古義人はいつも小説を構想しているが本当に作品は完成しているのか(尾崎氏→工藤氏)。同時代的な読者に恵まれなかった『同時代ゲーム』をどう捉えるのか。柳田を網羅的に読むことでどのように同作の読み方が変わったか(工藤氏→尾崎氏)。男性中心の大江研究・大江批評について蓮實重彦氏の仕事を見てきた立場から今後になにを望むか(尾崎氏→工藤氏)。大江文学をいかに読み語るか(工藤氏→尾崎氏)。

これらの問いをめぐって、1時間以上にわたって、どれほど豊かで緊張感ある声がゆっくりホールに響いていったのか、ここにまとめるのは至難の業である。作中の方言がどのような声音であったのか、大江氏の母親の音源が残っていたならば、といったことや、大江のなかにある書く欲望についての考察など、いくつものパースペクティヴが提出された。尾崎氏がしめした、宗教や共同体という大きなテーマを担う研究と同時に、大江自身もよくわからないうちに書かれた『同時代ゲーム』についての膨大な註を尽くす研究への期待、工藤氏が示したアナベル・リイ映画のようになにが書かれなにが消されたのかが生成論的に見出されるような草稿研究の可能性、さらには、大江が書き残したもののなかに近代としては決して容易ではない性を生きる誠実かつ倫理的な人間が自分のセクシュアリティをどのように造形化したのかを多角的にみる大切さなど、未来の読者、研究者に向けられた言葉があったことを何度でも強調したい。

その後、休憩を挟んで、菊間晴子氏によって、大江健三郎文庫の現況について、自筆資料が18,000枚に及び、デジタルデータ閲覧が2023年度中には可能になる算段が高いことが紹介された(東京大学文学部・大学院人文社会系研究科による資料)。そして最後の総合討論では、3日間の登壇者間で、テクストの声をどのように聞き取ることができるのか、書き手と読者の想像力の次元にまで及んで、2日目に争点となったサクラの「アーアー」という声にも回帰する形で言葉が交わされた。そして非常なまでの書き直しを行なっていた大江の草稿について今後どのようにアプローチをしてゆくのがよいか、グループ研究のアイディアも含めて意見交換がなされた。

最後のフロアからの質問にあったように、「読者」の状況、書物の受容の様子が、デビュー当時から劇的に変化している現代性をはじめ、いまだからこそ精査すべき事柄は数多くあるだろう。会場から直接あるいは事後にお寄せいただいたご意見、ご感想を励みとして、今後の研究につなげてゆきたい。

対面開催のみの3日間にわたるシンポジウムであったが、連日多くの方にお運びをいただいた。夏以来、準備を進めてくださった登壇者の方々、運営にご助力くださった方々、ご来場いただいたすべての方々に感謝する。

報告:髙山花子(EAA特任助教)
写真:郭馳洋(EAA特任研究員)、中田崚太郎(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)