2022年12月3日(土)14時より、本郷キャンパス山上会館2階大会議室にて、EAAシンポジウム「いま、大江健三郎をめぐって」1日目が、柳幹康氏(東京大学)の司会のもと開かれた。2018年から『大江健三郎全小説』の刊行がはじまり、読者にとっても研究者にとっても、大江作品を充実の解説とともに時系列に読むことができるようになったこと、いくつもの新しい—それも1990年代、2000年代の大江作品を論じた—研究があらわれてきていること、そして2021年1月には自筆草稿をはじめとする大江の資料が東京大学文学部に寄託され大江健三郎文庫(仮)が始動しようとしていること、こうした背景を踏まえて、今年の初夏から何回かの準備会を経て、多くの方々のご協力によってようやく実現したささやかな連続シンポジウムである。対面のみの開催であったが、はるばるお運びくださったすべての方々に心から感謝したい。
最初に発表した髙山は、「矢印のない世界で—『静かな生活』の子どもたち」と題し、1990年発表の小説『静かな生活』において創出されたイーヨーの妹であるマーちゃんの語りと彼女の視点から描かれるイーヨーの言葉、弟オーちゃんの言葉について、「話すように書く」ことをモットーとしている伊丹十三の同作解説を補助線として読み解いた。『燃えあがる緑の木』の両性具有の語り手サッチャンに連なる流れや、同時期の随筆に見られる大江自身の聴覚への新しい意識が1995年前後に連動して生まれている点を指摘した。
2人目の発表者である片岡真伊氏(EAA特任研究員)は、「鳥(バード)とBird—英語圏を旅する『個人的な体験(A Personal Matter)』」と題し、大江以前の日本文学の翻訳状況の比較として、1968年にGrove Press社から刊行された大江作品の最初の英訳であるジョン・ネイスン訳のA Personal Matterを取り上げた。異文化要素の翻訳、地名ではなく場のもつ力、主人公の渾名である鳥(バード)のルビをはじめとするカタカナ用語が仲立ちとして機能した様子を紐解き、立ち消えになったとはいえ、アメリカにおいて勅使河原宏監督による映画化の話が浮上していたほどに、英語圏への伝播可能性が秘められていた点を明らかにした。
3人目の発表者である村上克尚氏(東京大学)は、「大江健三郎における想像力と言葉の問題—60〜70年代のエッセイを中心に」と題し、サルトルで卒業論文を書き、長男・光が誕生した頃にまで遡り、『持続する志』(1968)収録の「不戦の誓いのひとつ」や「暴力的な思い出」を丁重に読み解いたうえで、『新しい文学のために』における「空想」と「想像」の区別をふまえ、『ヒロシマ・ノート』(1965)、『鯨の死滅する日』(1972)における「想像力」が自己の外部や他者との対話に開かれたものとして重視されている点を整理し、大江の想像力論に障害をもった子どもの父であるという条件が働いていた点を指摘した。
初日で提起された視点はそれぞれ異なるかたちであったとはいえ、ノーベル文学賞受賞以後、さらには2000年代以降に書かれた『晩年様式集』を違う時代からたどりなおすことを可能にしていたことを言い添えておく。会場からは、現代のわたしたちが想像力をもつためにどうすればよいのか、そして大江を引き継ぐ現代作家について質問があがったが、それにたいしてレヴィナスの鍵語である脆弱性(vulnerability)をすくいあげるかたちで「傷つきやすさ」を問う重要性を指摘した村上氏の応答は2日目以降の議論にひきつがれてゆくだろう。
報告:髙山花子(EAA特任助教)
撮影:中田崚太郎(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)