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2025.03.17

第7回EAA修了式 院長祝辞

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石川禎子さん、谷栞里さん、EAAユース修了おめでとうございます。お二人はユース生としてのさまざまな活動の中で、北京大学への留学も果たし、中国での生活を体験し、それぞれに豊かな中国イメージを膨らませてきたことでしょう。わたしたち東アジア藝文書院は中国との関係において自らの存在を規定している組織であり、お二人のみならず、ユース生としてEAAに参加した皆さんは、多かれ少なかれ、中国と交わることになります。

しかし、中国と交わることでいったいわたしたちは何を望むのでしょうか。

折しも、岩波書店の月刊誌『思想』1211号が昨日から書店に並ぶようになりました。今号は「現代中国の思想」特集ですが、これはもともとEAAがパンデミックで国際研究交流が阻害されていたときに行ったオンラインシリーズ「現代中国の思想状況を知る」がきっかけとなって始まった企画です。巻頭には前院長の中島隆博さんと鈴木将久さん、そしてわたしの3人による座談会討議が掲載されていますが、そこでのキーワードは「関与」でした。このことばがEAAのホームページにあるプログラム紹介にも登場していることをご存じでしょうか。そこには次のように書かれています。

 東アジア藝文書院は、東京大学と北京大学が共同で運営するジョイント研究・教育プログラムで、アジアの共通の未来を担う人材の育成を目指すものです。そのための学問的な基礎として、わたしたちは新たに「リベラル・アーツとしての東アジア学」を構築していきます。わたしたちが考える新しい東アジア学とは、単なる東アジアの地域研究ではありません。より相互的で関与的な研究として、日本と中国の双方が自らを批判的に相対化する視点を持ちながら、地域概念としての東アジアを超えて、アジア、オセアニア、そしてヨーロッパ、アメリカ、さらにはアフリカとの交通を重視した研究であるべきだと考えています。

東アジアからの相互的で関与的な学問としての「リベラルアーツ」を目指すことは、発足の当初からわたしたちの目標でした。中島さんは、座談会の末尾でこの言葉を言い換えて、「ある種の友情の地平」とも表現しています。関与的であるとは、学問を友情の智慧として遂行することであるとわたしは考え、かつそのように実践しています。

日本と中国の関係が友好によって支えられているというのは、1972年の日中国交回復に際しての両国共同声明にも明示されており、1978年の日中平和友好条約もそれに規定されて成り立っています。今日の両国関係はこれが法的根拠となって営まれており、EAAもまたそうした関係の中で初めて成り立っています。では、日中友好とはいったい何を意味しているのでしょうか。日本と中国が相互に関与的に友好を育むことで何を望むのでしょうか。

日中共同声明の前文には次のように書かれています。

 両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。

つまり、この関係は、単に日本と中国の二国間における友好だけを望むのではなく、それを礎として世界の平和に貢献することを欲しているのです。両国の友好関係を強調するあまりに、他との関係が悪くなってしまうなら、そのような関係は世界にとって害悪にしかなりません。もし本当にこの友好関係が世界の平和に貢献するのであれば、「友」ということばが往々にして表裏をなすように想定している「敵」なる観念を徹底的に排除する以外にありません。そんなことができるのでしょうか。

わたしたちは国際的な学問の友情の名において、「共生」という概念を温めようとしています。このことばを字義通りにとらえるなら、そこに敵はないということにならざるを得ません。そして、「ある種の友情の地平」において、共に変容しながら、それぞれの生を豊かにしていくことが、「共生」をco-becomingと訳そうとするわたしたち共生の学問国際ネットワークの参与者に共通の願いです。

石川さんと谷さん、そしてユース生の皆さん、すでに修了して社会で奮闘している卒業生の皆さん、さらにはEAAに関わるすべての教員と研究員、そして職員の皆さんには、それぞれの持ち場で「共生」の友情を鍛えるべく、日々心を砕き、そして生活を彩るさまざまな人間関係を楽しみと共に豊かにしてください。わたしたちが日々の暮らしをよりよきものにすることを、ソクラテスは「魂に配慮する」という独特のことばで表現しました。わたしたちは、さまざまな機縁が交錯することによって誕生した北京大学とのジョイントプログラムとして、東アジア藝文書院という共生のコミュニティに棲まっています。ソクラテスにとって「魂に配慮する」ことは、自らの魂をよくすることであると同時に、彼が棲まっているアテネの魂をよくすることでもありました。ご存じのように、魂は古代ギリシャ語でプシュケーと言います。つまり、吐く息のことです。わたしたちは呼吸をするたびに無数の分子を拡散し、それを共有し合っています。魂とは本来、わたしたちがそうして共有する空気そのものを意味していたと言えるのだろうと思います。空気に国境はありません。わたしたちが毎日の生活の中で自らの魂に配慮することは、実は同時に自らの所属する人間関係の魂に配慮することを意味しています。日本と中国の関係に広げて考えてみてもそうです。わたしたちはEAAの活動を通じて、両国の間に充満する魂に配慮し、そしてそのことによって、世界の魂に配慮しているのです。

このように考えるのはおおげさで非科学的なことでしょうか。そうではないでしょう。「カエサルのラストブレス」という寓話があります。カエサルがその生命の終わりに吐き出した最後のひと息には、2×1022乗もの分子が含まれていました。それはその後の約2000年の中で、空気中を漂いながら他の分子と混ざり合い、どんどん薄められて世界に拡散していきました。今日もなお、その分子は世界に漂っています。驚くことに、わたしたちがいまここで息をするたびに、その吸気の中にはカエサル由来の分子が少なくとも1個は含まれているのだそうです。これは化学の教科書にも載っている物語であり、何らの誇張もありません。わたしたちが魂を配慮するとは、事実において、遠い歴史の彼方から運ばれてきた別の魂を受けとめながら、世界全体に向かってその魂を配慮していることにほかなりません。

石川さんと谷さんは、今後それぞれのやり方で、この世界に関与していくことになるでしょう。中国との関係もお二人の関与の対象に含まれるにちがいないとわたしは見ています。お二人には、それぞれの持ち場で自らをよりよきものにするように、よく魂を配慮してください。そしてそれは、きっと世界の魂を配慮することにつながります。

今日は危機の時代であり、先行きの見通せない不安定な時代であると言われています。そういう時代の中からわたしたちは希望を見出していかねばなりません。これはわたしたちに共通の願いであり、EAAはその願いにおいて、日々学問する運動体です。お二人には、ここで学んだことを糧とするだけではなく、躓いたときにここに帰ってきてもう一度、希望のありかを見定めてほしいと願いますし、さらには、後輩たちのよき目標にもなっていただきたいとわたしは念願します。

これから始まる長い人生が悦びと楽しみにあふれたものになることを祈って、ご挨拶とさせていただきます。

2025年2月28日
東京大学東アジア藝文書院
院長 石井剛