2024年3月9日(日)10時より、福島市写真美術館多目的ホールにて、第37回、第38回哲学論集研究会が開かれた。
第37回哲学論集研究会は、渡部純氏(福島東高等学校)の博論構想発表会で、これまでに発表された論文にもとづき、どのように震災後の福島の人びとの言葉をハンナ・アーレントの哲学と接続しうるのか、込み入った議論がなされた。張政遠氏(東京大学)からは論理的かつ批判的思考を促すためのクリティカル・シンキングとの関係や、横地徳広氏(弘前大学)からはフッサールやカントにまで遡って「共」の成立条件が確認された。
つづいて38回哲学論集研究会は、張政遠・横地徳広共著『苦海巡礼』草稿発表会で、張氏と横地氏のそれぞれから、世界各国の巡礼にもとづくレポートの構成や、『苦海浄土』読解にもとづく執筆状況が報告され、一冊の本としてどのように編んでゆくか、仔細が検討された。
前日に渡部氏が主催するエチカ福島では、阿部周一監督『たゆたいながら』上映会&対話イベントが行われたが、行政として避難区域に指定されなかったがために、自主避難をするかどうかの判断が個々人に委ねられたその結果について、いまもなお、言葉にならない葛藤が残る現状が、渡部氏本人の研究と分かち難く結ばれていたのが印象的だった。わたしはコメンテイターとして、いったいどのような言葉が破壊されてしまったのか、奪われてしまったのか、取り戻したい言葉とはどのようなものなのかについて、石牟礼道子の晩年の言葉も参照しながら問い返したが、ブランショの言うところの終わりのない対話、おしゃべり、会話のように、言葉を紡ぎ続けることが、そしてそれを聞き続けることが、とりわけ現実に学問の言葉がまったく追いついていない状況においては大切なのだと痛感した。
報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)