2022年9月9日(金)、「現代中国の思想状況を知る」シリーズ第2回がZOOMにて開催された。今回は若手の中国文学・思想史研究者として注目される周展安氏(上海大学)を講演者に迎え、その最近の論文「事の哲学:章太炎思想の基調――『国故論衡』の諸子学9篇を中心に」(2021年)について講演してもらった。石井剛氏(EAA副院長)が司会を務めた。
まず石井氏は企画の趣旨を説明し、周氏の論文の論点を紹介したうえで、章炳麟における「事」と「物」と日本のマルクス主義者の廣松渉における「事」と「物」の異同、「事」と「思想」との関係、「事の哲学」が仏教的空という概念を離脱する政治学的意義、とりわけ今日において「事の哲学」の理論的意義を検討する際にナショナリズムを克服して別種の連帯を切り開く可能性について問題提起した。それを受けて、周氏は自らの論文の趣旨について述べたうえで、石井氏の質問に応答した。
周氏によれば、「事の哲学」とは、先秦諸子百家の思想を論じることによって構築された章炳麟自身の思想のことである。章炳麟は革命派として看做されがちであるが、「立憲」と「革命」という二項対立の枠組みでは、章の思想を把握しきれない。章は、一方において「革命」に立脚しながらも立憲派を批判し、もう一方において「国粋」に立脚しながらも西洋を盲目的に崇拝する偽りの革命派を批判した。章が「革命」よりも「光復」という用語で自らの意図を説明しようとする根本的な原因はそこにある。このような文脈のなかで、章は「国性」や「事」を強調し、「文野の辨」を展開した。そこで彼が強く抵抗しているのは、欧米を「文」と崇め、中国を「野」と貶めるという時代的風潮である。この抵抗の哲学こそが章炳麟の「事の哲学」を理解するためのキーポイントであるという。
講演後の質疑応答では、張政遠氏(東京大学)から「事の哲学」と西田幾多郎の「純粋経験」との関連、李培煒氏(東京大学)から「事の哲学」における「悪」の問題、郭馳洋氏(EAA特任研究員)から近代中国思想史における広い意味での「事の哲学」の系譜、陳希(EAA特任研究員)からエスペラント語をめぐる章炳麟と『新世紀』との論争の虚と実などについて、さまざまな質問・コメントが提出された。
最後に、石井氏は、本日の講演会の意義を述べたうえで、今後、章炳麟思想とハイデガーの哲学や明治日本の思想との関わりについてさらに詳細な考察が必要ではないかと指摘した。よって、本講演は盛況のうちに幕を閉じた。
報告者:陳希(EAA特任研究員)