ブログ
2023.09.04

【報告】未来哲学研究所第7回シンポジウム「現代科学と人間性の拡張」

People

9月1日(金)15時より、Zoom配信で、未来哲学研究所第7回シンポジウム「現代科学と人間性の拡張」が開かれた。小村優太氏(早稲田大学)の司会のもと、最初に秋山知宏氏(神戸情報大学院大学)が、「私たちを人間たらしめるものは何か──人類と自然の統合的探究」と題し、Web of Scienceから収集した論文にもとづいて、現生人類、ホモサピエンスとしての人間が今日どのように検討されているのか、膨大な研究史がありながら、統合的な観点からの検討が少ないという問題意識から発言した。ヒト加速度領域のDNA配列や累積的文化進化をめぐる知見、地球の生態系の劣化によって強力なウイルスが出る現実、培養された脳オルガナイドへの意識や記憶のコピーといった多岐にわたる論点が提供された。

つづいて師茂樹氏(花園大学)から「「AIは悟れるか」という問いについて考える」と題し、AIをめぐる議論の枠組みそのものを仏教の知見から批判的に検討した。カーツワイルの提唱したシンギュラリティとは人間とAIが融合して別の生き物になってゆくという考えであったと確認したうえで、仏教における生命の範囲についての思想から、AIは衆生なのかどうかと問いを立て、人工知能が生き物なのだとすれば、人工知能には人工知能の知性があるはずであり、すると人間とはまったく異なる生き物であるのに、人間のように振る舞わせているのではないか、という問いを投げかけた。

3番目の発表者である近藤和敬氏(大阪大学)は、「ポスト・ヒューマン時代の科学という問題について」と題し、「ポスト・ヒューマン」という言葉そのものの多義性を強調した上で、類的存在あるいは生物ではなく、概念としての人間について、哲学の観点から検討した。自然権と自然法則を区別しないスピノザの哲学にこそ近代の外部を思考するヒントがあるのではないかと近藤氏は述べ、政治的かつ集合的な特徴にあっても人間は自然であり、あたかもひとつの精神に導かれるかのごとくという複数の人間個体のあいだに働く想像力を含みこむスピノザの考えを紹介し、資本主義からデカップリングされ特異性に向かう科学という視点を提示した。

最後に岡本拓司氏(東京大学)が「自然科学に由来する政治思想──20世紀の事例を中心に」と題し、おもに日本とドイツの第二次世界大戦中と第二次世界大戦後の政治思想を検討した。科学的社会主義としてのマルクス主義において進化は弁証法で説明され、自然を支配する原理が人間や社会も支配するため、国体の科学的根拠を考えるならばじつは北一輝は国体論を超越しているといった事柄が整理されたあと、国体を犠牲にしても敗戦を受け入れた日本に対し、理念に科学的発想を入れたナチス政権では敗者の生存は許されない考えにもとづくネロ指令があった流れをとりあげ、戦後にナチスドイツにおける科学こそが否定すべき対象となった歴史をふりかえった。

ディスカッションでは仏教における生命の定義のゆるさ、遺伝的プリセットで説明しきれない人間の多様性、国家と自然科学の分離、統合的研究を試みる際の実生活上の危険、生物と非生物を分ける意味、知性に対しての情念や霊性など、さまざまな視点から発展的な質問がなされた。聴講しながら知性と言語(活動)の結ばれ方がとりわけAIをめぐっては気になり、文学的想像力における人間性の拡張とはどのようなものたりえてきたかなど、触発されるものが多かった。今回の記録もこれまでと同様、機関誌『未来哲学』に収録されるとのことなので楽しみに待ちたい。

報告:髙山花子(EAA特任助教)