2023年6月17日(土)、第12回EAA「民俗学×哲学」研究会が徳島県三好郡東みよし町のおおくすハウスで開催された。今回のテーマは「仏教と哲学と民俗学」、報告者は柳幹康(東京大学)、コメンテーターは藤見俊夫氏(京都大学)、司会は山泰幸氏(関西学院大学)である。開催方法はZoom併用のハイブリッド型で、当日の出席者は計40名を超えた。
「民俗学×哲学」研究会@おおくすハウス
報告者の柳は、仏教とそれを研究する二種の学問———過去の文献に基づく仏教学と現在の日常生活を記録分析する仏教民俗学———の概略を述べたうえで、宗教と学問を分ける基準としてカール・ポパーの反証可能性に言及した。反証可能性とは、実験や観察などにより誤りを立証しうることである。柳は仏教学・仏教民俗学の研究成果を踏まえながら、仏教が生死の問題にどう向き合ってきたのか、および人が生きるうえで欠かすことのできない食、ならびに死後の葬送儀礼の変遷について概説した。
柳はまず、仏教を開いた釈尊の問題意識と仏教の歴史的展開を振り返った。人間にとって、老・病・死は不可避である一方、それに対する心の有り様は変えられる。自身の心を変えることで老・病・死等に由来する苦しみを脱しようとした仏教はその後、インドから各地に伝わって多様な展開を遂げ、日本でも今日に至るまで多大な影響を及ぼしている。
仏教における「食」に関して特に変化が大きいものに、肉食(にくじき)がある。仏教が生まれたインドでは当初、僧侶は在家信徒から布施されたものを選り好みせず口にしており、そのなかには肉も含まれていた。ところが後に大乗を自任する新たな勢力が興起すると、肉食を忌避する当時の社会通念を背景に肉食の全面禁止を説く経典が編まれた。それを受け中国仏教では肉食の全面禁止が定着したが、日本仏教ではやがて民間に近いところでその免罪・許容が為され、やがて明治になり国家により近代化の観点から全面的に解禁された。
「葬送儀礼」においても歴史的な変化が見られる。インド仏教では出家者の間で葬送が為されていたが、中国では宋代に禅僧が在家者の葬送にも携わるようになった。日本仏教では当初、死穢を忌避する観点から正式な僧侶は基本的に葬儀には関与しなかったが、平安時代になると葬送・追悼供養の相互扶助組織が結成され、のち鎌倉時代に在野の僧侶が一般の人々の葬送に広く従事するようになった。その際に彼らが死穢の乗り越えに用いた論理が、念仏により往生した者には穢れはない、正しく律を守る者は穢れを受けない等である。また今日定着している葬送の方法――遺体を墓地に埋葬する一方で、家には仏壇を置き死者を祀る習俗――について、以前「部屋と空間プロジェクト」研究会で取り上げた仏教民俗学の研究『葬儀と仏壇』(ヨルン・ボクホベン、岩田書院、2005年)を紹介し、それが死穢を日常生活から遠ざけつつ、一定の距離を保ちながら生者が死者と共存するための装置であると論じた。
仏教とそれに関連する変容を見ると、その背後には人間の心のありよう――他者を単なる肉体ではなく心・魂の宿るものとしてみる傾向――が見えてくる。無数の様々な現象が繰り広げられる世界において人間は、そこに一定の関連・法則を見いだし特定の物語を作る。その物語は究極的には恣意的なもので根拠を欠くが、人間は特定の物語なしに生きていくことはできない。ある人類学者のこのような知見を紹介したうえで柳は、もしそうであるなら我々は、それに無自覚でいるのでなく、そのことに意識を向けることで、今生きている物語は唯一絶対のものではないことに気付き、それに変わるより良い物語へ移行する可能性が開けてくるのではないかと述べた。
柳の発表に対して、藤見氏は個人の感想を踏まえながら脳科学からの見解を述べた。仏教も社会の通念や制度に沿った形で適応してきたことが印象に残ったと所感を述べたうえで、人が自ずと物語を求めること、「理由のでっち上げ」が常に起きていることは、脳科学の実験でも証明されていることに言及した。また最近の神経科学の知見によれば、外の世界の情報は個別の要素ごとにバラバラに脳に伝わり、それらが無意識推論のもとに統合されるのであり、我々に知覚できるのはその結果の像に過ぎない。つまるところ、人は完全に客観的に世界を見ることはできないのである。しかしながら「迷信」と「科学」を同列に論じることはできない。なぜなら世界の理解に対するコミットメントの差異があるからであり、科学革命の後に世界人口が急激に増加したこと、構造物の規模が飛躍的に増大したことなどが、両者を分ける例である。このように述べた上で藤見氏は、人の知に関する評価軸として反証可能性や実用上の有意など「真との近さ」を計るもののほかに、より多くの事柄に適合しうる「解釈の深さ」があるのではないかと論じた。
科学も宗教も人間社会の所産にほかならないのだとすれば、それが持つ物語性にどのように(新しい物語を用いて)向き合うべきか。さらにいえば、両者の本質的な違いとは何か。それを考察するための観測点がディスカッションの中で浮かび上がった。例えば、脳科学と仏教が想定している真理・真相の次元の違いや、自分と自分を取り巻く諸物語の距離の取り方などが挙げられる。本セミナーの議論を通して、人間が抱えている煩悩の即時性と物語が持つ効果の不確定性に付き合う知を探究することに、脳科学と仏教学の接点を改めて感じた。
哲学カフェ@パパラギ
2日目は、東みよし町加茂にある喫茶店パパラギにて、哲学カフェが開催された。今回のテーマは「聞こえる」である。参加者は約30名である。主催者の島尾明良氏と山氏は、これまで31回の開催に至った経緯を簡単に紹介した後、参加者がそれぞれ「聞こえる・聞こえない」について語りあった。高齢者が多くいる中、耳が遠くなって「聞こえなくなった」体験を取り上げた人は少なくない。他人の話が聞こえないことで、コミュニケーションも難しくなり、他人と一緒にいる時間が逆に孤独な経験に転じてしまう。見た目だけではわからない人間の様々な苦悩や問題への配慮が必要だと指摘されている。
こうした受信機能としての「聞こえる」ことの特徴にフォーカスした発言も複数ある。人間が「聞こう」としていなくても、様々な方向から音や声が入って、結果的に「聞こえる」ことになる。主体性をもって、積極的に何かを「見る・聞く」ことが多く求められている中、自分が本来もっている客体性・受動性の力が弱くなっているのではないかとも考える。頑張らなくても感じてしまうもの、「聞こえる」ものに光を当てることによって、より潤沢な自分に気づくきっかけになるのかもしれない。結局、勝手に耳に入ってきた音や声が、私たちがどのような状況に置かれているのかを知らせている。そういう意味では、大切なものは「見たり聞いたり」するものではなく、「見える・聞こえる」ものかもしれない。
一方、「聞こえる」は受動的な側面だけではない。「一億年もこの地を守っていた石の声が聞こえた」、「本音が聞こえる」や「動物の哀しみが聞こえる」などといったように、「聞こえる」にはより深い情念や心の動きを感じ取る時に使われている例も挙げられた。ところが、蛙の声が歌に聞こえる人もいれば、騒音に聞こえる人もいる。一見自然に受け入れたものであっても、そこですでに心の取捨選択が起きている側面を忘れてはいけない。セミナーの議論を踏まえて言えば、「聞こえる」という言葉は、私たちがこれまでどのような物語を暗黙の了解として用いて、物理的に聞こえているはずのものを(無)意識的に排除してきたかを考える手がかりともなりうる。
最後に、次回のテーマの候補を皆でひとつひとつ挙げていった。その結果、9月の第32回哲学カフェのテーマは、「報道」に決まった。今回の対話のなかでも出たが、「報道」はある声を「聞こえる/聞こえない」ように操作する装置の一つでもある。
EAAの先生方、なかでも張政遠先生の献身的なご案内のおかげで、2日間という短くも心身ともに充実した時間を過ごすことができた。
セミナーの参加者と地域の住民が入れ混じったバーベキュー大会や、農家の訪問を通して得られた知的な刺激も多くあった。その地で生きるとは何かを実感する貴重な機会であった。研究者は「高度」な議論で自己満足するのではなく、具体的な問題や悩みを抱えている現場の人に向き合うべきではないかと、参加した年長者から問いかけられた。徳島の綺麗な自然風景を生きている明るい人々は、農家の高齢化による耕作の困難、世代間の分断、病気、疲労、政策への不満などといった現実問題を抱えている、立体的な人間である。彼らの、理路整然とはしていないが、しかし豊かな情の溢れた様々な声に身を置きながら、「研究員」や「研究者」という肩書きにとどまらない、より立体的な自分が回復しているように感じる。
徳島にいるからこそできる話を、今後も継続的に、その地とそこに生きる人々、集う人々と交わしていきたい。
報告:汪牧耘(EAA特任研究員)