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2024.08.15

【報告】東アジア教養学「世界文学と東アジアIII」を終えて

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 四月以来、わたしが担当をしていた、EAAの選択科目「世界文学と東アジアIII」の授業すべてが終了した。この授業は、東アジア教養学プログラムを構成する、選択科目(講義)のひとつである。今回わたしは、石牟礼道子の『苦海浄土』を取りあげた。文庫として一般に普及している『苦海浄土—わが水俣病』(1969)だけでなく、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」をふくめた全三部作として読解することを主旨とした。いくつかのテーマにもとづいて、講義をしたあと、必ず参加者間での議論を行うという内容で構成した。
 もともと予定をしていた「音響」、「御詠歌」、「活字」、「生殖」、「家族」といったテーマについてじっくりテクストにもとづいて議論したことにくわえて、参加者間の関心から、日本文学における「私小説」の文脈を踏まえた読解や、科学文書との記述方法の対比、それから第一部に現れる「ゆき女きき書」の初出時からの変遷について、掲載雑誌であった『サークル村』や『熊本風土記』を参照して、検討した。
 また、テクスト読解と並行して、授業の中盤には土本典昭監督の記録映画『水俣—患者さんの世界』(1971)を、授業の終盤にはおなじく土本監督による『水俣の図・物語』(1981)を鑑賞し、意見交換できたことは、僥倖であった。特に後者は、あまり現代では知られていない作品だが、「広島の図」や、「アウシュヴィッツの図」を残した画家の丸木位里、丸木俊夫妻が「水俣の図」を制作したプロセスのドキュメンタリーである。途中、石牟礼道子による詩の朗読が挿入され、武満徹による音楽が背景に流れるという、総合作品になっている。同作品を踏まえ、授業の最終回では、『ショアー』(1985)の監督であるクロード・ランズマンが水俣を訪れ、土本と対話した記録を踏まえ、石牟礼にとっての神話の問題系に接続し、「表象不可能性」をめぐるディスカッションをもつことができた。

『水俣の図・物語』(1981)より

 来学期に担当する東アジア教養学では、フランスの映像作家クリス・マルケル(1921-2012)を導きとして、第二次世界大戦後から現在までの世界について、「東アジア」をひとつの切り口として、さまざまな角度から、批判的に思考する予定である。今学期の議論のエッセンスも引き継いで、冬学期を迎えたい。学期期間中、諸々の手続き、教室手配等に尽力くださったEAAスタッフの皆様に感謝します。

報告:髙山花子(EAA特任講師)