2023年4月12日(水)15:30より、駒場キャンパス101号館セミナールームにて、EAAキックオフトーク「書院の空気:共に生きる」がハイブリット形式で開かれた。
まずEAA新院長である石井剛氏(総合文化研究科)より挨拶があり、今年度に新たに計画されているいくつもの国際企画の具体案が、強力な産学連携のイメージとともに語られた。それは、学問することじたいが平和を創り出すことなのだという希望の言葉だった。
つづいて鈴木将久氏(人文社会系研究科)、星野太氏(総合文化研究科)、柳幹康氏(東洋文化研究所)からテーマに即して発表がなされた。
EAA世界文学ユニット所属で、中国現代文学を専門とする鈴木氏は、学部時代の進学振り分けで中国文学専攻に決めた理由について、中国の若者たちへの関心があったことを、竹内好が絶えず中国のわからなさを述べていた事実とともに回想した。そして1990年代以降、学者として国際交流をはじめ、中国の上海近郊の金沢に東アジアの知識人で集まった際の印象深いエピソードが共有された。かぎられた期間、寝食を共にし言葉を交わすとあきらかに空気が変わり、信頼感と共同性に支えられた思考が生まれる経験が語られた。
つづいて世界哲学ユニット所属で美学を専門とする星野氏から、「共生」という日本語がconvivialのほかにもco-existenceに対応する文脈を確認したうえで、日本語では「寄生」と訳されるparasiteの概念に着目し、詩人の石原吉郎がシベリア抑留の体験にもとづき書いたテクスト「ある〈共生〉の経験から」が紹介された。食糧不足の極限状態で、二人一組で食缶をどのように公平に分け合うか試行錯誤する共生の有り様から、暴力を避けるためには知性が必要であるという視点が投げかけられた。
その後、藝文学ユニットに所属する仏教学を専門とする柳氏から、これまでのEAAの活動や、学際性について振り返りつつ、9-10世紀にパラダイムシフト=唐宋変革が起こった際に生まれた禅が、東アジアからのリベラルアーツなのではないかという考えが提示された。自己の解脱のために出家しても自分自身のみのためであるかぎりは解脱にならない、他者をどう救うかという視点がかならず入ってくるという観点である。
それぞれまったく異なるフィールドからの発表であったが、ディスカッションでは、近代の仏教運動に端を発する「共生(ともいき)」という言葉の成り立ちや、グローバル・サウスをめぐる切迫感、内外の出入りが自由にある組織のありかた、さまざまな要素をめぐって途切れなく言葉の往還があった。
最後、現代日本での言論をめぐる空気に言及があったが、学問的ニヒリズムに陥ることなく、集まっては離れることを繰り返し、各自がおのれの言葉を鍛えるために、このような〈場〉のもつ意義がたしかめられたように思われる。EAAでは今年度はすでに海外から訪問フェローを複数受け入れており、多言語での交流が活発化している。新しいユース生も参加し、年度のスタートに弾みのつく一日であった。
報告:髙山花子(EAA特任助教)
写真:郭馳洋(EAA特任研究員)