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2021.01.26

ヒューム『自然宗教をめぐる対話』(1779)新訳刊行記念WS
「18世紀の対話篇を読む/論じる/翻訳する」③壽里竜先生報告

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壽里氏の報告は、ヒューム『道徳原理研究』(1751年)の引用から始まった。「会話において、対話の生き生きとした熱気は心地のよいものである。対話に参加している者だけでなく、その様子を外から眺めている者にとっても愉快なものだ」(8.5)。このフレーズから示唆されるように、ヒュームの会話に対する主題的関心は、『対話』以外の著作にも見られる。また『対話』冒頭では、近代世界における対話篇(というジャンル/表現形式)の衰退が語られているが、これを字義通り受け止めてはいけない。マイケル・プリンスが『ブリテン啓蒙における哲学的対話篇』(1996年)で指摘するように、18世紀イギリスの文芸空間において、対話形式はむしろ盛んに用いられていた。したがって、『対話』をヒュームの諸著作との関わりにおいて、さらには18世紀の出版文化の中で位置づけていくことが重要である。

ヒュームの『道徳原理研究』には「対話一篇」が付されており、こちらは(登場人物の一人が解説者の役回りを担う)弁証法的対話の色彩が見られる。また、明確な対話形式ではないが『道徳政治論集』(1741年~42年)の「幸福四論文」では、ヒュームが古代哲学の各派(エピクロス主義者/ストア主義者/プラトン主義者/懐疑主義者)になりきって、それぞれの声をエッセイ上で再現している。競合する思想的立場について、それぞれの視点や声に同化し、一つのテクスト上で再現・併記するというのは、ヒュームの得意とするところである。『イングランド史』(1754年~62年)では、議会派と王党派の政治立場・心情を両論併記する形で表れている。こうした併記スタイルでは、思想的立場の優劣判定が留保されるため、(弁証法的対話に対して)懐疑主義的対話と言い表せるかもしれない。結論や裁定を読者に委ねるという点は、エッセイや小説といった、同時代の文芸ジャンルとの連続性を示唆させる。犬塚氏は「平等/不平等な対話」というタイポロジーを用いていたが、弁証法的対話/懐疑主義的対話という構図で見てみると、ヒュームの執筆活動においても、著作間に多様性を確認できる。

ヒュームの文筆活動における対話形式の採用は、18世紀に起こった「出版文化の隆盛」と軌を一にしている。定期刊行物が数多く出版され、都市に住まう新興の中産階級がこれを愛読した。出版を介した新たなコミュニケーション空間が現出する中で、文筆家たちは読者に応答していくこととなった。出版物が両者の想像的/創造的なインターフェイスとなったのである。あるいはコーヒー・ハウスのような場で、読者同士が実際に感想を言い合うという機会もあった。出版物を介して会話の世界が拡張する、そんな社会・文化状況を受けて、対話篇のリバイバルが発生する。ヒューム自身は、キリスト教を信じる読者に向けて、懐疑主義的視座を投げかけていたようである。古代世界でキケロ(の対話篇)が行った営為を、出版文化の隆盛する近代世界において、アップデートしつつ反復する行為と言える。キケロとヒュームの連続性については、ティム・スチュアート=バトル『道徳神学から道徳哲学へ』(2019年)に詳しい。

出版物の増加という量的変化は、筆者/読者の質的変化を伴ったことに留意したい。読者たちは書物を介して、書き手のパーソナリティや背景にも興味を持った。アントワーヌ・リルティの指摘を援用すれば、文筆家ヒュームは皆の注目する「セレブ」となったのである。ヒュームその人も「セレブ」としての自己を強く意識しており、自著の出版タイミングやその社会的影響を計算していた様子がうかがえる。とりわけ『対話』に関しては、自らの死で世間が騒いでいるうちに、鮮烈な形で死後出版を行いたい、という意図が明確に感じられる。こうしたプロモーションの一環として、晩年のヒュームは死の床にあっても、平静を保った無神論者としてふるまっていたという。誰の目もないところでは苦しみに打ち震えていた、という召使の証言も残っているそうだ。

現代の我々が『対話』を読んでいると、結局「ヒュームはどこにいるのか」と考えることになるし、諸著作から浮かびあがってくるヒューム像も、読み手によって多種多様である。書き手・語り手としてのヒュームは、どこか「とらえどころがない」。各テクストにおける筆者のペルソナは、ヒュームが巧みに構築した虚構(=ヴァーチャルなもの)であると言える。テクストを介して、「なまの作者」(=生きているヒュームその人)と出会っているという想定は危うい。こうした巧みさの一方、読者との仮想的なコミュニケーションを、ヒュームが完全に制御していたわけではない。ルソーとの喧嘩別れで見られたように、セレブに対する関心は、ヒュームの知らないところで増殖し、意図しない反発や風評を読んだ。ヒュームは出版物を通じて、ヴァーチャルな(セレブとしての)自己像を確立すると共に、こうしたメディア空間に振り回され、圧倒されてもいたのである。『対話』の中で見られる、絶妙なタイミングでのデメアの退席、読みやすい文章でありつつ読者の理解を突き放すような怒涛のストーリー展開(=議論の応酬)も、エネルギーに満ちた(時に荒れ狂った)18世紀のメディア空間、そのうねりが背後に透けて見える。

 若澤佑典(EAA特任研究員)