書物との出会い方、そして離れ方
若澤佑典
人の数だけ出会いと別れがあり、その形も多種多様だとするならば、私たちと書物とのかかわりにも、同じことが言えないだろうか。本文を読む前から、背表紙のタイトルを見ただけでビビッときてしまった本がある。まったく理解できず数年間放置していたのに、ある日思いがけず扉を開き、「こんな本だったんだ!」と飛び上がってしまう本もある。大学時代は愛読していたのに、最近読み返してみると「うわっ、なんだこれ」と嫌いになってしまった本もあった。インターネット以前の世界を(わずかながら)生きた身として、洋書との遭遇はとりわけ鮮烈な体験だった。(アマゾンがなかった時代)田舎に住んでいると、そもそも英語で書かれた本を見つけることが難しかった。中学生の時、初めて買ったシャーロック・ホームズの原書からは、異国の(ような)香りがした。目の前のアルファベットと香りの先に、イギリスという遠く離れた世界が感じられた。なんだかよく分からない高揚感から、浜辺で海の向こうに叫んでみたが、帰り道で「イギリスはそっちの方向じゃない」ことに気づいてなんだかガッカリした。ともあれそんなこんなで東京見物に出かけ、都会の本屋では洋書(英語だけでなく、フランス語も!)が置かれているのを発見し、腰を抜かしそうになった。上野の美術館では西洋絵画を見て感動したが、画集を買うには旅費が足りなかった。東京の大学に進学すれば、巨大な本屋と美術館に通えることが分かり、頑張って勉強した。気がつけばオッサンと呼ばれて久しい年代になったが、本に囲まれた人生を選ぶことができ安堵している。体は老化しているが、気持ちは(浜辺で叫んでいた)12歳の時からそんなに変わっていない。いまだに洋書が届くとウキウキするし、その表紙に触れると気持ちが高揚する。
私たちの体が「今まで食べてきた物」から出来ているように、研究者の内的世界は「これまで遭遇した書物たち」との対話経験から成っている。折に触れて思い出すのは、大学院時代にリチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を読んだ時のこと。もちろん錯覚ではあるのだけど、「この本は私(ような者)のために書かれたものなんじゃないか」と感じてしまうような衝撃があった。「みんなはこういう風に哲学をやれって言うけど、実は別のやり方もあるんだよ」と、誰かが私に向けて言ってほしかったメッセージが、そこに書かれているような気がした。世界のどこにもないと思っていたけれど、自分が考えていたこと、求めていたことが書かれた本が目の前にある、「存在している!」、この本があれば私は何かを諦めなくていいんだ、孤独ではないんだと思わせてくれる本だった。研究者を志す自分にとって、出発点を与えてくれた本であると同時に、「離し方/話し方」を学んだテクストにもなった。上に書いたような高揚感を伴った錯覚(?)は、テクストを読み進める中で誤解であったことに気づく。当たり前ではあるけれど、ローティが言おうとしていることと、私が言いたいことは違うのだ。こうやって落ち着いてみると、本の中に書いてあること(とりわけ真ん中のあたり)が、実のところ込み入っていてよく分からないことに気づいた。ここにいたるまでに2年ぐらいが経っていた。テクストを理解・解釈するにせよ、自身の論を構築するにせよ、どこかで読み手は書物から「離れ」なければいけない。以前、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』が世間の話題になっていたけれど、こうした「書物からの離れ方」について書いた本なのかなと、(当該書を読んだことのない)私はなんとなく想像している。読んだことがないバイヤールさんの本について語るのはさておき、いつ・どうやって目の前の書物から離れるのか、その離れ方の体験が地層のように積み重なって、「書く」自分を形作っている。
思い出すままに、書物との離れ方を語ってきたわけだが、最近の私は書物との「出会い損ね」を体験してワタワタしている。何度か周囲から「読んでみなよ!」とすすめられ、本屋の棚の前で買おうかどうか迷い、レジに運ぼうと思って「やっぱり、また今度にしよう」を繰り返した本をようやく購入した。実に8年越しのイベントで、それまでの経緯をストーリー化すれば大河ドラマ(の枠で水滴のような内容を語ること)になりそうなスケールである。その本とはバーナード・ウィリアムズ『倫理(学)と哲学の諸限界』であるのだが、ページをめくってもその全貌はおろか手掛かりすら見えず、「離れる」前に、いまだこの本とすれ違いを繰り返している。真ん中の部分を読んでいると、現時点ではうまく要約できないのだが、ともかくこの本は私にとって重要(そう)な本だということは分かった。書物と出会うためには「確信」がいる。私の手元にはすでに「信」があるのだから、当該書と出会うまであとちょっと(なのかもしれないの)だ!
2021年1月5日(火)
photographed by Hana