弔う、別れる、集う——未来への注釈としての儀礼
田中有紀
7月頃だっただろうか、週に1、2回、私も職場に通勤することになった。
私は4月から、東大本郷キャンパスにある東洋文化研究所に勤務しているが、コロナのこともあり、地下鉄を使わずなるべく自転車で通っている。
本駒込から本郷の間には多くの寺院があり、そこから漂うお線香や花の匂いが昔から好きだった。今はマスクをして自転車に乗っているから、匂いはほとんど感じ取れない。また、この期間、寺院を訪れる人もあまりいないのだろう。だいたいいつも静かであった。
ある日、寺院に併設されている小さい祭儀場で、葬儀が行われているのに気がついた。亡くなった方のお名前を看板で確認し、ご冥福をお祈りした後、不謹慎極まりないが、私は何だか生き生きとした気持ちが心の底から湧き上がってくるのを感じた。「もうお葬式を行っても良くなったのだな。この方は、最期を弔ってもらえるのだな」と考えながら、しばらく葬儀が始まる前の様子を見ていたのである。
感染拡大初期の頃、確か葬儀でクラスターが発生したとかで、昨年は葬儀や法事を控える人が多かったと聞く。かくいう私も、父を亡くし、昨年は一周忌であったが、緊急事態宣言中だったため何も行えなかった。
その時は、「それでいい」「仕方ない」と思っていたが、後になって、だんだんと、小さなストレスが溜まり続けてきたのに気がつく。お墓参りにも行っておらず、父は今どう思っているだろうか、何を考えながら眠っているのだろうか。やっぱり「それでは良くなかった」のかもしれない。
「それでは良くなかった」ことでもう一つ引きずっているのが、卒業式である。私は前任校を昨年3月で退職しているが、受け持っていたゼミ生の卒業式は中止となった。その時は「それでいい」「仕方ない」と思い、できる限りの手段を使って、彼らにお祝いの言葉をかけた。しかしその後、たった半年で、思いもしない悲しいことが起こった。私はあの時、無理矢理にでも学生たち全員と、最後に会っておけばよかったと、とても後悔することになる。私には人を変えるような力はないと自覚しているが、それでも会って、卒業式という一つの節目に、何か一言残しておけば、彼らが困難にぶつかった時、数多くの言葉の中で、ふっと浮かび上がり、救えるということもあったのではないか。
中止になったものは他にもある。私自身の送別会だ。「こんな時期にやってくれなくて構わない」とその時は本当に思ったけれど、これから先、何か後悔する時が来るかもしれない。あの時、無理矢理にでも集っておけばよかったと考えるようになるかもしれない。
コロナ禍で「省略」されたもの、「不要不急」と判断されたものの中で、儀礼的なものはとても多い。お葬式、卒業式、送別会など、重要であるはずなのに、重要ではない。私はこのジレンマに、一年間悩み続けたといっても良い。
寺院での葬儀を見てほっとしたのは、私の中にある、儀礼を省略したことによって未だ消化しきれていない「別れ」の悲しみを、癒してくれるようなきっかけを見出せたからなのかもしれない。
私はオンライン推奨派である。職場の会議もオンラインとなり、オンラインで出来ないことはほとんどないと思う。また、みんなで協力して何かを進めるというよりは、一人で黙々と作業するのが好きなタイプだ。
しかし、オンライン環境で唯一完遂できないのは、儀礼的なものである。オンライン会議では礼の要素がほとんど失われた。また、私のような「黙々」タイプにとって、ある意味強制的に設けられた儀礼の場は、人と集い、生き生きとした関係を自分の中にチャージして、また明日へと向かっていくための欠かせない場であった。それゆえ、私は敢えて日常の中に儀礼の場を作ろうとしてきた。
儀礼の効用は、その場ではすぐにわからない。しかし、ある程度人生を過ごしてくると、その儀礼の意味が後々よくわかってくることがある。儀礼の意味は、色々あるのだと思うが、私にとっては「集う」ことが何より重要な要素だ。あの時、あの場で、あの人に会っておいて良かったと思えることが多々ある。その時はわからない、しかし後になって、何か心に響いてくるものがある。儀礼もある意味、未来への注釈と言えよう。
「集う」ことが何より重要と言ったが、儀礼を行うには、ある程度の「型」が必要だ。「型」がなければ、人は集えない。孔子は「礼楽といっても玉帛や鐘鼓のことをいうのだろうか」といい、礼楽の精神性を重んじた。しかし南宋の朱熹は、当時の知識人について、礼楽の精神性を追求するばかりで「鐘や太鼓の基本的な技術すら理解していない」と嘆いた。古代の思想家である荀子は、礼の根本にあるのは、人々の欲望であるといっている。人間が、綺麗な衣装や美しい音楽、美味しい食べ物を好み、これらを欲して人々が集うからこそ、礼は成立するのである。つまり、礼楽には、人々の欲望に根ざした「型」が必要だ。コロナ禍はこのような「型」を持つ儀礼を根本から軽視し、失わせようとする。
私は儀礼の中でも音楽、音楽の中でも音律という、「型」そのものの研究をしている。この企画で儀礼のことを書こうと思った以上、お正月期間、終始、本やパソコンに向かい仕事しているのでは説得力がない。
感染拡大の年末年始。初めて実家に帰らず、自力で過ごしたお正月であった。「自力で」といったのは、恥ずかしながら、私は一人でお節を作ったこともなく、門松やしめ縄を自分で買ったりしたこともない。お屠蘇の作り方も分からなかった。一通り準備してみた後に、そもそも重箱がないこと、お屠蘇を入れる器もないことに気がついた。
「型」を完璧にするのはなかなか困難なようだ。しかし、まずは「型」を、と思うその心を、小さな家の中で実践していくことこそが、コロナ禍に抵抗し、儀礼を取り戻すためのきっかけなのだと自分に言い聞かせることにした。タッパーに詰めたお節も、徳利に入れたお屠蘇も、朱熹からは文句を言われるかもしれないが、孔子ならきっと、許してくれるかもしれない。
2020年1月26日
photographed by Hana
「18世紀の対話篇を読む/論じる/翻訳する」③壽里竜先生報告