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2023.02.03

【報告】第8回 藝文学研究会

202322日、藝文学研究会が開催された。第8回となる今回は、柳幹康氏(東洋文化研究所准教授)が「禅の悟りとその先——ともになりゆく道」というタイトルで発表を行った。

東アジア藝文書院(EAA)では、理念の一つとして「新しいリベラルアーツ」を東アジアにおいて/から発信することを掲げている。この理念を承けて、20224月から始動したプロジェクトである潮田総合学藝知(UIA)では、月1回のペースで藝文学研究会を開催し、「新しいリベラルアーツ」(総合学藝知)を創出するために、手探りの実践を重ねてきた。

蛸壺的ではない学際的な研究、社会・世界に開かれたリベラルアーツの必要性が叫ばれて久しいが、それは一体どのようにすれば実現可能なのか、という問いに対する答えは未だ明確ではない。「学際的」という名の下に、確固たる理念が共有されないまま個別的な研究が“寄せ集め”られただけ、という状況に、おそらく多くの研究者が遭遇してきただろう。本当に学際的な学問が必要である、と心の底から信じているというよりは、ある種の流行として、あるいは“独りよがりで無意味で役に立たない”ものとして眼差される人文学に、どうにかして意義らしいものを与え、さらに言えば研究予算を獲得するための方策として、「学際的」というスローガンが一人歩きしてきた感さえある。

本気で学際性を創出しようとするとき、そこにはかなりの労力と時間がかかるし、そのコストを背負うことは、論文執筆や学会発表をコンスタントにこなし、研究者としてのコマを一つ前に進めていくためには“コスパが悪い”ものとして見做されがちであるし、成果主義の昨今においてそれも致し方ないと思う気持ちが筆者にもある——だが、それで本当にいいのだろうか? 

EAAは、各々の専門を持った研究者がこの「?」を持ち寄って「新しいリベラルアーツ」を作るコストを分け持ち合い、さまざまな協力者(それは研究者だけでは決して実現し得ない)の力を頼りながら、従来の制度(具体的な制度のみならず、人々の心の中に形成された確固たるカテゴリ)の間に空隙を作り出すことを目指している。UIAでは、中島隆博氏(EAA院長)の言葉を借りながら、この実践を“Human Co-becoming”(ともに成り行くこと)・“Human Co-flowering”(ともに花すること:「花する」とは、イスラーム哲学者の井筒俊彦の議論から中島氏が着想を得た概念である)として位置付けてきた。

仏教学、とりわけ「禅」をご専門とする柳氏が今回提示した問い——自利と利他はどのように結びついているのだろうか——は、極めて抽象的かつ専門的な問いであると同時に、上述したような学問制度を考えるための具体的な問いとしても考えられうる。

真理とは固定的に存在するものではなく生成変化し続ける運動そのものの中にある、という発想のもと、書か留められるもの(エクリチュール)を退け、「法系」に則って行われる伝法(話されること=パロール)を重視してきた禅において、その思想・哲学が理論的に体系化されることはほとんど稀であった。その稀なことをやってのけたのが、中国五代十国時代の僧・延寿である。しかし、その延寿のテクストにおいてもやはり、「自利」と「利他」との間にある、ある種の飛躍については詳細には書かれていないという。

あえて乱暴に平たく言えば、「自利」とは、自身のために修行を重ねることであり、「利他」とは、他者のために善き行いをすることである。これは「なぜ自らのために専門的に行っている研究を、他者と協働し、他者に開いた善いものにしていかなければならないのか」という問いに、似ていると言えるかもしれない。

ディスカッションでは主に、自/他という従来の意味関係を再構成(あるいは脱構築)する方法について議論された。延寿は「一心」という概念において、世界が分節化される以前の状態を言い表した。ここにおいては、自他の区別は消滅する。このように聞くと、自己と他者が完全に一体のものとなることで、外部のない全体的かつ一面的な「一」に陥ってしまうのではないか、という疑念がよぎる。だが、そうではなく、各々はそのままで存在しながら、他者無くして存立しえない自己として互いに深く連関し合っていると考えるべきではないか、と中島氏(EAA院長)は述べ、これを「一人称複数形」と表現した。「一人称単数形」として認識している時点における「私」と、「一人称複数形」として存立している自分を認識した「わたし」との間に、実のところ決定的な変化があるとは言えないかもしれない。しかしそれはやはり、全く何かが変わってしまった、と言えることかもしれない。

通常「一人称複数形」とは、「私たち」のことを表す。しかし、それが「私」の“寄せ集め”でしかないのだとしたら、それはやはり「一人称単数形」であるのかもしれない、と中島氏は言う。柳氏の渾身の問いを切り口に、“Human Co-becoming”、“Human Co-flowering”を単に聞こえのいいキャッチフレーズとせずに、正面から向き合うための議論が開始されたひとときであった。

 

報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)