2022年10月25日、第5回藝文学研究会が開催された。今回は、本ブログ報告者の丁乙(EAA特任研究員)が「『ラオコオン』受容からみる20世紀中国美学」と題して発表を行った。『ラオコオン』(1766)は西洋美学史における詩画比較論(詩と絵画の類似と相違)の名著である。中国でも前近代以来、詩画比較論は芸術論の重要な課題とされ、20世紀中国のイデオロギーの激変の中でも『ラオコオン』は一貫して重視されてきた。それゆえ、この書物は、20世紀中国美学を考える際に独特な位置を占めている。
報告者はまず、「中国美学」と呼ばれる学問領域をいかに理解すべきかについて説明した。西洋に端を発するディシプリンである「美学」は、美・芸術・感性について哲学的に探究する領域として成立した。こうした西洋美学を見習って作られた中国美学を考えるとき、中国語で書かれた資料に対する美学的探索を進めると同時に、西洋の美学それ自体のパラダイムについての理解も刷新し続ける必要がある。現在の世界的な美学研究の動向から見ると、中国ないし東洋の美学は未だ適切に位置づけられていないという課題が提示された。
一方、中国の研究状況では中国美学と西洋美学をあまりにも峻別している、という問題が目立っている。それに対し、報告者は、中国美学はたんに中国古典を継承したものでも、西洋美学をそのまま移植したものでもなく、古今東西の思想の交渉、関連する学問分野からの要素の借用といった動きのなかから、自らの輪郭を描いてきたと主張した。そこで報告者は、『ラオコオン』の受容を切り口として、1920年代〜60年代の中国美学の生成過程に注目した。20世紀中国美学の三巨頭、朱光潜・宗白華・銭鍾書の『ラオコオン』論を取り上げ、彼らの詩画比較論をめぐる見解や、根底にある学問的立場、『ラオコオン』への理解の相違を確認した。これらは20世紀中国美学の生成過程を如実に物語るものである。
質疑応答では、中国美学を語る際に『ラオコオン』のいかなる側面が重要となるのか、東西比較がいかに有効となるのか、といった議論が交わされた。今後、EAAならではの学問的探究として、中国ないし東洋の「藝文」、そして美学について考えていきたい。
報告者:丁乙(EAA特任研究員)