2022年9月22日、第4回となる藝文学研究会が開催された。今回は、塚本麿充氏(東洋文化研究所教授)が「光を失っても芸術は可能か」と題して、日本や中国の歴史において芸術家の失明がどのように作品内で表現され、世間はそれにどのように反応してきたかを概説し、汪士慎(1686-1759)と長谷川沼田居(1905-1983)という2人の失明者の文人画に焦点を当てて発表を行った。
美術史において、芸術作品の価値を評する基準や様式論は少なくない。しかし、芸術(art)と人の生き方との関係に焦点を当てた時、視覚の論理に傾くそれらの基準は、もはや当てはまらない。失明者の絵画は、芸術を再評価するための重要な手がかりとなると考える。
中国では、失明・病気と芸術表現に関する記述は、おおよそ揚州八怪の時代まで遡ることができる。中国の文人画の特徴は高度な技術性を持つことにあるが、他方で技術からの脱却を尊ぶ傾向がある。例えば、高鳳翰は晩年、右手を患ったため左手で絵を描くようになり、かえって人気を博した。汪士慎は晩年、両目を失明したが、友人の金農は「目は見えなくなるが、心は見えなくならない」と評し、その作品は以前にも増して素晴らしいものとなったと評した。こうした「技術否定」「形似否定」の中国の伝統が、光を失った後も芸術を可能にしたのかもしれない。
日本では、長谷川沼田居の事例がある。長谷川沼田居は牧島閑雲に師事し、漢学の伝統と南画の影響を受けていた。その絵画は、物事のかたちを積極的に作り出していくことに特徴があるといえる。晩年、完全に視力を失った長谷川沼田居はさらなるかたちへの探求を、書法を通して試みようとした。その代表作に「いろはシリーズ」がある。
写真 「いろはシリーズ」(塚本氏の発表資料より)
光を失った後の文人画の芸術性とは何か。人を震撼させるのは、技巧を削ぎ落とした後の絵画のインパクトだけではない。光の消失によって色あせることのない作家の、絶え間ない創作意欲でもあろう。そういう意味では、失明者の作品の芸術性とは、鑑賞者の参加を通して得られるものかもしれない。すなわち、「まだ見えている」私たちが絵画を鑑賞し、未知の闇の中に入っていく芸術家の思考、欲求と表現の可能性を想像することで、自らの身体的条件を超越して世界のあり様を体験しようとする試みが求められているのである。
報告者:汪牧耘(EAA特任研究員)