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2021.08.19

【報告】「藤木文書アーカイヴ」共同発表会

84日(水)、「藤木文書アーカイヴ」の共同発表会を参加者限定で開催した。発表会はZoomを用いたオンライン形式で行われ、20名ほどの参加者にも恵まれた。発表者として、宇野瑞木氏(AA特任助教、司会も兼任)、高原智史氏、本ブログ報告者の横山雄大、日隈脩一郎氏(ともにEAAリサーチ・アシスタント)、宋舒揚氏(東京大学大学院博士課程研究生)の5名が登壇し、コメンテーターとして川島真氏(東京大学教授)と荒川雪氏(東洋大学教授)が発言された。

1報告として、宇野氏が「藤木文書の概要とその活用法及び課題について」と題して報告を行った。まず、「一高プロジェクト」とその一環として位置づけられる「藤木文書アーカイヴ」プロジェクトのこれまでの活動と今後の予定について述べた。その上で「藤木文書」の来歴やその所持者である藤木邦彦に関して紹介を行った。最後に、「藤木文書」の具体的な構成内容について紹介し、その活用方法や今後の課題について議論を投げかけた。

 

2報告として、高原氏が「個人文書としての藤木文書の生成と収蔵」と題して報告を行った。まず、個人文書と法人文書の定義について解説を行った。その上で、一高内部に文書管理規定が存在せず、法人文書の集積にも積極的でなかったため、留学生課長である藤木のもとに文書が集積されたとした。そして、このような一高の文書管理の不足を補う存在として、「藤木文書」含む個人文書の重要性を指摘した。

 

 

第3報告として、横山が「留学生管理における両面性――釈放後の復学手続きを事例に」と題して報告を行った。本発表では、対日協力と抵抗という留学生の両面性を検討し、国共双方が地下活動を組織するなど、一高の留学生にも同様の特徴が見られた点を確認した。さらに抗日運動のために逮捕された留学生の釈放後の復学手続きを事例として取り上げ、管理側は復学を認めることで、再度対日協力者として取り扱いを行っていたことを指摘した。以上をもって留学生自身だけでなく管理側にも両面性が存在していたことを述べた。

 

4報告として、日隈氏が「戦時留日学生の帰趨――旧制第一高等学校教授・藤木邦彦宛書簡の紹介を中心に」と題した発表をした。まず藤木宛に届いた書簡について、差出人、投函地、内容を整理し、その上で、当時の日本の留学生政策を概観し、それを反映して書簡の内容も入営延期、休学依頼、疎開の連絡などが中心であったとした。さらに今後の展望として、留学生の疎開や郵便を含む情報交通網の状況、他の資料館との連携やプライバシーの問題などを提示した。

 

第5報告として、宋氏が「戦時中における一高護国会と体育活動について――藤木文書を手がかりに」と題して報告を行った。宋氏はまず、クラブ活動にあたる護国会の成立過程について説明を行った。もともと一高ではクラブ活動が盛んであり、軍事上の体育活動の重要性からクラブ活動は維持されたものの、戦争動員の準備の必要性が次第に高まり、自治の精神に反する形で、護国会への改組が行われたと指摘した。

 

以上5名の発表を受けて、コメンテーターとして、まず川島氏が発言された。今後の方向性として、隣接資料の活用と戦後の留学生の状況解明の必要性を指摘された。また、特に日隈報告に対し、戦時下の留学生の疎開や情報交通網の変化について今後の研究が期待されるとして、その意義を評価された。

 

同様に、荒川氏もコメンテーターとして発言された。同様に、関連資料やインタビューの活用、遺族の所蔵資料の収集の可能性や戦後の留学生の状況解明の必要性について言及された。一方で、インタビューの史料としての信ぴょう性やプライバシーの問題、扱う対象として東大生を含めるのかについても言及された。さらに戦後の一高の留学生の活動について、中国留日同学総会の機関紙などを用いながら、一高生が戦後同団体の中心的人物となって1948年以降親中共的な路線を推進し、人民共和国への帰国後も日中関係における中国側の幹部として活動していたことを説明された。

最後に、フロアからもコメントが出された。その中では、他の文書との関連性、様々な一高生の戦後の活動、憲兵と検察の違いの重要性、戦前の状況に注目する必要性などが議論になった。

以上のように、様々な議論がなされ、盛会のうちに本報告会は終了した。

 

報告者:横山雄大(EAAリサーチアシスタント)