7月26日(火)、「東アジアの安全保障を考える」と題した一般公開イベントが開催された。石井剛氏(東京大学大学院総合文化研究科教授、EAA副院長)による司会のもと、発表者として、内田泰史氏(東京大学法学部)、上田恒友氏、本ブログ報告者の円光門(ともに東京大学大学院法学政治学研究科修士課程)が登壇し、ディスカッサントとして、池嵜航一氏(東京大学大学院法学政治学研究科特別研究生)、森口隼氏(東京大学公共政策大学院博士課程)が論点提示を行った。
まず内田氏が、中国の近年の海洋進出に対する周辺諸国の反応について発表を行った。内田氏は来年から防衛省勤務となるため、日本の防衛官僚としての立場から、中国の海洋進出に対する「封じ込め」に、経済制裁や輸出管理をはじめとする「エコノミック・ステイトクラフト」がどの程度効果的なものとなるのか、具体的な解説を行った。内田氏によれば、日米豪印の戦略枠組対話であるQUADは、中国を念頭に置いた「エコノミック・ステイトクラフト」を実施する意志自体は持つものの、具体的な形にはまだ辿り着いていない。また、中国は周辺諸国による「封じ込め」に対抗する意志を持ち、能力構築を急いでいるが、現実的には未だ困難が伴っている。
次に上田氏が、専門の西洋政治思想史の観点から、カール・シュミットの「広域秩序」概念を応用して近年の中国の対外行動を説明することを試みた。上田氏によれば、中国は自国の周辺海域や近隣諸国に対する排他的影響力の拡大とそこからの覇権国(=アメリカ)による介入の排除を企図している点で、「広域秩序」の確立を目指していると言える。こうした姿勢は、19世紀アメリカが当時の覇権国イギリスによる米州への介入を排除するためにモンロー主義を掲げたことに通じるところがあるが、その後アメリカが米州における覇権の追求から世界における覇権の追求へと目標を切り替えたことで、アメリカの「広域秩序」は地理的限定性が解消され、より普遍化されたとシュミットは指摘している。上田氏は、こうした変化は今後の中国においても見られるのかという問いを提起した。
最後に円光が、「不確実性を伴う台頭国」という概念を手がかりに中国と国際秩序をめぐる問題について論じた。台頭国の「不確実性」とは、この文脈においては、台頭国がある時点で既存の国際秩序にコミットすることを表明したとしても、今後のさらなる国力増大により将来そのコミットメントを破棄するコストが下がっていくことを指す。台頭国にこうした「不確実性」があることは、台頭国の側にとっても、それと向き合う覇権国の側にとっても、国際秩序を不安定化させるインセンティブとして機能し得る。円光は、中国は覇権を目指すことはないとした周恩来や鄧小平の言説(これは既存の国際秩序に対するコミットメントの表明の一種として捉えることができる)が、中国の国力増大に伴って変容してきたことに着目することで、中国には台頭国としての「不確実性」が見られることを示唆した。
これら三名の発表に対して、ディスカッサントの池嵜氏と森口氏から論点が出された。まず池嵜氏が、円光の発表に対して、中国の既存の国際秩序へのコミットメントをめぐる「不確実性」として具体的には何が懸念されるのかという問いを、内田氏の発表に対して、「エコノミック・ステイトクラフト」は抑止が破綻した後も対象国に行動変容を強制する上で効果があるのかという問いをそれぞれ提起した。次に森口氏が、内田氏の発表に対して、中国と経済的に近い関係にあるASEAN諸国というアクターの存在を考えると、中国の海洋進出にいかに対処すべきかという問題について「封じ込め」の発想のみで語ってはいけないのではないかという指摘を、上田氏の発表に対して、シュミットの理論で中国の対外行動を説明することにどれほどの妥当性があるのかという指摘を行った。
オーディエンスからは、東アジア国際関係史が専門の横山雄大氏(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、EAAリサーチ・アシスタント)に発言をいただいた。横山氏は、中国にとっては東側の海の問題も重要であるが内陸の中央アジアの問題も同等に重要であるから、中国の対外行動を考える際に海洋進出のみに着目するのは適切ではないこと、中国がいま国際秩序に対して打ち出している価値は「自由」や「民主」といった西洋的な価値を読み替えたものにすぎず、独自の秩序観を普遍化しようと試みているとは考えづらいことなどに言及した。
最後に、中国哲学が専門の石井氏からのコメントとして、国際政治を語る上での「言語の問題」が以下2点提起された。第一に、いまからちょうど50年前に行われた日中国交回復に際して採択された日中共同声明には「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。」と唱われている。ここで言う「覇権」が指す意味とは一体何だろうか。「覇権」というのは定義が難しい言葉であり、周辺諸国に介入する行動であっても、それが「王道」に適っていれば「覇権」ではないという考え方を中国は持っている。この趣旨は1978年の日中平和友好条約にもそのまま受け継がれている。つまり、「覇権」という言葉をどのように捉えるかという難しい問題が、日中の友好関係を直接規定することになるのである。第二に、アメリカが自分たちのことを民主主義国家と定義していることに議論の余地はないだろうが、中国は自分たちの国を権威主義国家と定義してはいない。つまり、「民主主義対権威主義」と呼ばれるような対立構造を記述する言葉そのものを我々は今一度捉え直さなければならない。そのためには、「民主」という言葉のあり方をアップデートしていく必要があるのではないかと石井氏は述べた。
以上をもって会は終了したが、会の終了後にオーディエンスの一人として参加された、比較文学が専門の王欽氏(東京大学大学院総合文化研究科准教授)からも意見を伺うことができたのは幸いであった。王氏いわく、90年代以降イデオロギーとしての共産主義の求心力が衰えてきた中で、中国が非共産主義的な統治理念として着目した思想がカール・シュミットであった。すなわち、シュミットの思想を援用して中国の対外行動について論じるのであれば、90年代以降中国でシュミット受容が著しく進んだことを念頭に置く必要があると王氏は語った。
以上のように、本イベントは多角的な視点からの議論が交わされた大変充実した会となった。東アジアの安全保障というテーマでトークイベントを行う際、一つの部屋に政治学、哲学、歴史学、文学といった実に多様なバックグラウンドを持つ人々が集い、ともに議論をする光景はなかなか見られるものではない。本ブログ報告者は国際政治専攻であるが、同じ専攻の者どうしで話していては得られることのなかったであろう論点や視点を今回数多く受け取ることができた。今後もこうした場に多く関わっていきたいと考えている。
報告者:円光門(東京大学大学院法学政治学研究科修士課程)